可惜夜 |
やはりこの男は前触れもなく現れる。 珀明は、今後龍蓮がお宅訪問の文を寄越すといった一般的な手続きを踏むという、浅はかな期待を一蹴した。 一体何度目になるだろうか、この男の訪問は。夕方だったり深夜だったり時には朝と、その時間はばらばらで気紛れで、今回のおとないは亥の刻に差し掛かった頃だった。いつもと殊更違うのは、いきなり珀明の自室に姿を現し、珀明の度肝を抜いたということだろう。しかし、それも既に慣れてしまったと思うと、どこか居た堪れない。もともと、素っ頓狂な姉で抗体ができていたせいもあるのだろう、と珀明はひとりごつ。 「いつ戻ったんだ・・・茶州の騒ぎは収まったと聞いたが、2人は元気か?影月はどうなった?秀麗は近いうちに戻ってくるんだろう?冗官に落とされるらしいかなら・・・腹立たしいことに」 龍蓮と名前を呼び、珀明は返答を促した。珀明には秀麗と影月からの文が1通も届かなかったのだから、その質問攻めにも無理はないだろうと龍蓮は思った。大まかなことは、宮廷内で報告されているだろうが、それとてどう曲解されて広まっているのかわからない。 「珀・・・・・・取って欲しい、早く」 だが、返答を一時横に据え置き、龍蓮は珀明に乞う。何を、とは口にしない。せずとも、珀明には理解できるからだ。 珀明は瞠目する。まさか、自称風流な格好を自分から取り去って欲しいと言われるとは思わず、珀明は少し驚いたが、ゆっくりと煌びやかで派手派手しい余計な装飾品を取り払い始める。そうすることを条件に、珀明は龍蓮を受け入れる。その行為が合図となることが、2人の間では暗黙の了解となった。言い出したのは、珀明だ。 すっかり、まともと言える姿になった龍蓮は、少し乱暴に自分で髪紐を解き、珀明に手渡す。そして、そのまま珀明の体を捕らえると、凭れ掛かる。珀明が重いと文句を言ったが、龍蓮は無視して腕に力を込める。 ずっと1人だった。だから、珀明から伝わる暖かさが、いつも、少しだけ怖かった。 「心の友たちは元気でやっている。この間は、茶州で1日祭りを催していた・・・・・・2人の無事を見届け、私も復活した故、珀明に会いたいと思って、遙々茶州から戻ってきた」 龍蓮は滔々と語る。 「そうか、ご苦労だったな・・・疲れているだろう?少しおかしいぞ、龍蓮」 それを言ってしまえば、いつも果てしなくおかしいのだが、普段と少しずれた異常さを、珀明はその行動で感じた。 龍蓮の右手が、背中から珀明の後頭部に動き、結わえられた黄金色の髪を解放する。そして、そのまま、その柔らかな髪に顔を埋め、珀明の抵抗を許さなかった。 「おい!・・・龍蓮!・・・・・・・・・・・・お前、復活したんじゃなかったのか?」 影月の件で、龍蓮は初めて大切なものを守るということを学んだ。守らなければ、大切なものはいとも簡単に壊れてしまうことを。 茶州にいる間、友2人の傍に小判鮫よろしく張り付き、確かに復活はした。けれども、あの喪失感を忘れられるわけではない。いつか、秀麗や影月、そして目の前にいる珀明を失うと考えると、やはり動揺を覚える。 彼らを自分の傍に留めて置きたい。 影月たちがしてくれたように、珀明からの言葉を欲する自分は、強欲だと嘲る。とても危険なことだとわかっているけれども、諦めることができないものを手に入れてしまった。それは、喜ばしいことでもあり、喪失感へと繋がる端緒でもあった。 「珀明は、私から逃げないな・・・」 秀麗や影月と同じように。そのことが、どれだけ龍蓮を安堵させているか、珀明は知らないのだろう。 「・・・・・・当然だ。逃げる必要がないからな。そもそも、お前が言い出したことだ。僕は、お前の友なんだろう?」 真っ直ぐ、自分が思い望む以上のものを返してくれる。貰えるはずもないと思っていた言葉を与えてくれる。 龍蓮は、幼い子供のように頷いた。 「つまらないことで落ち込むな・・・らしくない。思ったら即行動の方が、よっぽど龍蓮らしい」 背中をぽんとあやすような手つきで、珀明は龍蓮を抱き返した。自分より年上なのに、何処か子供のようだと思う。仕方がないと、いつものように受け入れるのが、自分の役目であるのだと、珀明は苦笑する。きっと、こんな奴関わりたくもないと決意しても、そんなものは、こいつの姿を見た瞬間に崩れ去ってしまうのだ。 「・・・・・・私は、珀が、好きだ」 もう、この男が何をしても、ただの子供がしたことだと、大人の気持ちで見てやるのが一番なのだろうと珀明は、半ば諦観気味に思う。こんな大きな子供、見たこともないが。 「そうだな・・・僕も、あいつらと同じくらいには、お前のことを好きだ」 珀明がそう言い終わるや否や、龍蓮はその額に、瞼に、頬に、唇にと順に口付けを落としていく。 「・・・・・・龍蓮」 思考回路が停止したのか、抗うこともせず呆然と名を呼んできた珀明に、龍蓮は言葉を返す。 「なんだ、心の友其の三」 「お前は、その友にこんなことをするのか!もう離せ!」 今度は、龍蓮の腕の中で暴れて逃れようと試みる。けれども、それを阻止する力の方が圧倒的に上であるため、無駄な抵抗となるのだが、珀明は諦めなかった。 「断る」 「なに?!一体、何がしたいんだ!」 心の底から聞きたくなかった。身の危険、いや、直接的に言えば貞操の危機を感じる。それでも、言って欲しいのは、まだ残っている希望にしがみ付きたいだけだ。 「・・・・・・・・・・・・言えば、珀が嫌がると思って、何も言わずにことに及ぼうかと思っていたのだが。」 全く聞き捨てならない言葉だ。珀明は龍蓮の腕を叩いて拒むが、痛みなど顏に微塵も溢さず、平気な顔をしている男を見て自分の非力さを嘆いた。 前言撤回、いや、前思考撤回。この男が何をしても、子供のやったことだなんて思った自分を、珀明は短慮だと悟った。 「阿保か!どの道嫌がっているだろう!いいから離せ!」 「嫌だ。珀・・・・・・私を受け入れて欲しい」 耳元で囁かれて、珀明は一気に体の熱が上がる感覚を覚えた。 気のせいではない。息のかかった耳が、熱い。顔が、熱い。 己の二の腕を強く掴んでいる珀明の指が震えるのに気付いたが、気付かなかったことにして、そのまま金色の髪へと口付けをする。 「好きだ・・・」 嫌だ。怖い。 この男が藍家直系であることは、珀明にとってどうでもよかった。それが、龍蓮にとって友としての立場なら。受け入れることに多少の戸惑いはあったが、今はそれすらも過去の話だ。 けれども、それ以上は駄目だ。珀明は碧家として、龍蓮は藍家として、踏み込んではならない領域である。賢い龍蓮は、それを理解しているはずだ、おそらく珀明以上に。自分は、今まで以上に、龍蓮の弱点となりうるだろう。それは駄目だ。 終わりがわかっているなら選択なんて簡単だろうと、言葉にしてぶつけられたらどんなによかっただろう。自分など選んでくれるなと。 「・・・・・・ん・・・」 優しく、龍蓮は再び口付けを交わす。唇が唇を食む音が小さく響く。束の間のそれは、珀明に拒まれることなく、ゆっくりと離れていった。瑞々しく光る唇をなぞられ、珀明は頬を赤らめた。 頭を占めていたのは、抵抗しなかった自分の弱さだ。 思い知らされた。嫌じゃないのだ、龍蓮にされることがどれも。始末が悪い。 本気で抵抗をしてこない珀明に、龍蓮は顔を綻ばせる。大丈夫だと耳元で数回繰り返しながらも、肩や首、頬に何度も唇で触れた。本当は珀明が本気で嫌がったのなら引き下がるという選択も存在したのに。これでは、余計に期待を抱いてしまう。 「仕方のない・・・やつだ・・・」 どんなときも、そう言って受け入れて、甘やかして、与えてくれて。少し笑いながら、けれども、何処か諦めた色を見せる珀明の表情を見ても、龍蓮は何も言わなかった。 瞼に口付け、項に舌を這わす。腕の中に収まった体が強張る。龍蓮は、それすらも愛しく感じた。 ⇒ 續 (性的描写含ム、自己判断求ム) 可惜夜(あたらよ) 明けてしまうのが惜しい夜 |