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その時、碧珀明は、重い落胆に襲われていた。
重いか軽いかと問われたら、それは今まで生きてきた中で味わったことのある落胆の中でも、容易に五指に入るほどには重い落胆であった。そのせいで、女の身でありながら、最初であり最後であると決意して受けた国試の、まさにその結果が張り出された掲示板を再び見上げることもできずに、珀明は俯いた。もう一度見て、結果が良い方向に変わっていると云うならば、今すぐにでも仰ぐのに、そんなことはありえないとわかっているからこそ、視線が地面から離れない。周りから聞こえているはずの雑多な声も不思議と耳に入ってこない。
落第したわけではない、寧ろ一般的に結果だけをみれば、上等な順位での及第だ。十代で第四位の及第ならば、大抵の場合は誉れとなり、実際、碧州の州試を状元及第した珀明は神童とも謳われているのだから、それに更に拍車もかかることだろう。
だが、上位三位全てを珀明と同様十代が占めているという事実が、珀明にそのような名誉も自信も感じさせない要因となった。しかも、状元を自分よりも遥かに年下の少年に、榜眼を真面目に国試に取り組む素振りすら見せなかった藍家直系に、とりわけ、探花を紅家であり同年の女人に奪われたというのは、珀明に多大な衝撃を与えていた。
「(……手応えは、あった…調子も悪くなかった、……落度はなかった…)」
間違いなく全力で挑むことができたという確信が、余計に珀明の気を滅入らせる。握ったままの右手の拳が震える。遣り切れなさが、珀明の心を苛む。
女人受験者として、上位及第は必須ではあったが、そのような決まりはなくとも、元より珀明は状元及第を目標にしていた。憧憬の対象である李絳攸を目指す第一歩が、国試の状元及第であった。第四位及第では、どうしても納得できなかった。このまま碧家の門を潜ることができるのか、そう考えると、足が進むことも退くことも拒否するのだ。
しかも、何故、よりにもよってその三人が自分の傍らに揃いも揃って集まっているのだろう。
思えば、会試が始まった頃から、自分を含めた四人は纏めて扱われてはいたなと、珀明は渋面を作りながら思い返す。
現在も、上位を見事にかっぱらって行った存在として、珀明たちは周囲からいろいろ含んだ視線を浴びせられている。確かに、自分一人でも、初めての女人受験者の一人として十分目立ってはいただろうが、そこにもう一人の女人受験者に、最年少受験者、藍家直系が混じって、良い意味でも悪い意味でも(寧ろ後者が多い)目立って仕方がない。思えば、それらのせいで鬱憤も溜まっているはずなのだ。
「……っ!」
珀明は、何か箍が外れたように、傍らに立つ同年の女人受験者である紅秀麗の両方の上腕を掴んだ。その瞬間、驚いたように秀麗の双眸が見開かれるのが見て取れたが、今の珀明にはそれを気にする余裕もなかった。
「な、なんでお前が探花……ってそれよりも、なんであの男が榜眼?!」
「…そ、そんなの私の方が知りたいわ!あんな本の一冊も持ち込まないで、惰眠ばかり貪ってた奴に第二位取られたなんて!」
しかし、秀麗も珀明の剣幕に負けじと、同じように珀明の両上腕を掴むと、不平不満を吐き出す。
「…私は状元及第目指していたのに!それを年下の少年に奪われて!」
「影月君はいいのよ!真面目に頑張ってきた結果なんだから、というか、本当に本当にありがとう影月君、貴方がいなかったら、状元はあの男のものになってたわ!」
そんなの絶対に許せない!と、物凄い剣幕でお互いの身体を押し合い引き合うのを繰り返しながら云い合う少女二人を、話題に上げられた杜影月は、おろおろしながら仲裁に入るべきか否かを考えあぐねていた。
「落度はなかったし、全力で取り組めた!」
「そんなのこっちだって同じだわ!この上なく絶好調でした!」
「だから尚のこと悔しいのに!」
「ええ、その通りよね、まったく!」
二人が繰り広げているのは、口論ではあるが、いまいち喧嘩のようには受け取れず、影月は控えめな仲裁の言葉しか口から出てこない上に、それらのほぼ全てが、珀明たちの声に掻き消されて無意味の産物と化していた。
二人の関係の悪化というよりは、影月にとって、周囲から向けられる好奇やら迷惑やらの視線の方がとても痛かった。助けを求めるように、藍龍蓮へと視線を遣るが、龍蓮が面白そうに二人を見ているのを確認すると、影月は唯一とも云える縋る存在を失って途方に暮れた。だが、影月は、最後の切り札――つまりは龍蓮のことであるが――に近付いて、なんとか二人を止めてここから立ち去ろうと、説得を試みた。自分にしては、思い切った行動に出たなと、影月は感じた。
「………っていうか、珀明、私たち受かったんだから喜ぶべきよね!?」
そもそも第三位とか四位なんて、普通に考えれば上等な話じゃない、落ちなかっただけ儲けものだと考えるのが普通かしら!?と秀麗は言葉を繋げる。
「そうだけど……なんなんだ、この遣り切れなさ!…それもこれも全部あの………っ!」
珀明は言葉を呑み込むのと同時に、背後から加えられた力に息を呑んだ。身体を引かれ、そのせいで珀明による秀麗の腕への拘束も、秀麗による珀明への腕への拘束もなくなる。しかし、身体を引かれた力を受け止めきれずに、珀明は後方へと倒れる自身の身体を支えきれずに、後ろに倒れそうになる。
「………っ、藍、龍蓮、」
だが、倒れると感じたのも束の間、直ぐに何かに支えられたことで、珀明の身体が顛倒を免れた。それが、龍蓮の身体だと気付くのには、殆ど時間を要しなかった。自分よりも明らかに逞しいその体躯に(男女で較べること自体が間違っているのだが)、しかもそれが龍蓮のものであるということに、珀明は僅かに動揺を覚え、しかし、どうしてかそこから動けずにいた。視線だけ秀麗へと投げ遣ると、そちらは影月が対応しているのがわかった。
「心の友其の一、其の三……少し落ち着いてみてはどうだ、心の友其の二が困っている、」
背後から、珀明の細腕に沿うようにして龍蓮の腕が回され、その手は珀明の手を軽く掴んだ。慣れぬ行為に、珀明は抵抗しようとするよりも前に、投げ掛けられた言葉に意識が向いたせいで、体勢のことが御座なりになった。
「お、お前に、よりによって、お前に云われたくない!」
「…そーよ、人に云う前に、まず日頃の自分の行動を顧みなさいよ!」
「…は、珀明さん、秀麗さん……」
それでも、二人は自分たちの失態を反省しているのと、それを他の誰でもない龍蓮に指摘されたことの気まずさに、言葉に反して語気がそれほど強くはない。というか、とりあえず二人は、この場から去りたい気持ちでいっぱいであったが、ここで龍蓮に背を向けるのは何となく癪であったため、自分から後退の一歩が踏み出せずにいるのだった。
「…………珀明、なんていうか…これからよろしくね、」
「こちらこそ、……お互い、頑張ろう」
先刻は突然悪いことをした、と、珀明は秀麗に謝罪の言葉を向けると、秀麗も同様に言葉を返す。変なところで友情が芽生えた二人は、お互い視線を交えて、言葉を掛け合った。そんな二人を、影月はよくわからないと云ったふうな表情で首を傾げ、また龍蓮は、依然珀明を後ろから支えたまま微笑ましそうに見つめていた。





終畢

これは、国試の結果発表時だと思って下さい。国試ってどうやって発表されてたかなぁとか考えていたのですが、いいやもう!普通に掲示板で発表されていたほうが、なんか受験に及第(合格)したって実感が味わえるし、そこんとこ原作無視で!という←結論。
うん、やはり心の友'sはいいですね!さりげなく龍珀っぽいのは仕様です(笑)
なんか、女の子珀は、もっと秀麗と気が合えばいいな!という願望(あくまで願望)のせいでこんな感じになりました、でも、珀明は秀麗よりももっと現実的且つ冷静です、悪しからず。