この感情はいつから愛情ではなく贖罪になったのか
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酷く懐かしさを感じさせる背中を、楸瑛は見つけた。懐古の情と共に、自らの幼さ故に抱いた想いが溢れる。

「静蘭」

嘗て、唯一自分が膝下に屈した彼(か)の公子――今は静蘭と言う――の名を呼ぶ。
名こそ違うけれども、身に纏う雰囲気も誰にも阿(おもね)らない矜持の高さも、そして、今は王である孤独な末弟への愛情も、全てが楸瑛が認める王たる存在のものだ。

「藍、将軍・・・」

振り返って見せた、何とも言えない静蘭の表情に、楸瑛は苦笑する。もしかしたら、自分が秘めるこの感情に、聡い彼は気付いてしまったのだろうか。

今では、自分よりも小さく、部下となってしまった公子を見遣る。短くなった紫銀の髪だけは、変わらず美しくこの闇に映える。このような形で再会するとは、思いもしなかった。

「清苑」

今度は、彼の本来の名を、近付きながら囁く。口にすることを許されない名を。この名を彼に対して囁くということは、罪だ。そして、罪を犯すことは、斯くも快楽を伴うものだ。

「・・・・・・藍、楸瑛」

名を呼ばれる。楸瑛は、背筋に寒々としたものを覚えた。向けられる視線に込められるものは、警戒と殺気、そして何故か無力感。しかし、その理由を知る楸瑛は敢えてそれを訊ねない。

先刻まで静蘭の視線が指していた先へ、楸瑛は静かに視線を向ける。
其処には、彼の公子が愛して已まなかった末弟と、公子という身分を捨てた静蘭の愛する姫がいる。そして、聞こえてくるのは、孤独な王を救う姫の奏でる二胡の音色。

「・・・・・・私は、私が不甲斐無い」

無力感の理由が、彼のその一言に含まれていた。
一介の兵士である己の身分では、王が抱える孤影を支えることができない。それを歯痒く感じているのだろう。清苑、と捨てた名を呼ぶ楸瑛を言葉で咎めないのは、愛しい弟を孤独へと追い遣ってしまった罪に苛まれているからだ。

「貴方のせいではない。貴方を支え、護ることのできなかった、我が藍家にも非があります」

誰よりも優秀な清苑公子の後見を求めていたのは、藍家の愚かな古参。だが、公子の為人(ひととなり)を己の眼で確かめ、その膝下に跪いたのは、紛れもなく楸瑛であり、三人の兄たちである。

「―――藍家など、役に立たぬ」

吐いて棄てるように楸瑛に言葉を投げる。思いの外傷付かなかったのは、静蘭いや、清苑の表情の方が傷付いた子供のようであったからだ。本当に役に立たないのは己である、と物語っている。

「では、今度こそ、貴方のために、貴方の愛する者を―――」

護りましょう。

言葉にではなく、瞳に込めて誓う。冷え冷えとした視線が、何故か心地良い。

お互いの隙間を埋めるように迫った。近付くと、より体格差が鮮明にわかる。
幼い記憶にすら残っている紫銀の髪を一束掴み、刺さるような視線を捉える。軽く口付けを落とし髪を手放す。抵抗されないことに少し驚いたが、そんな素振りすら見せずに、細い腰に手を添える。

「・・・・・・お前も、三つ子も、大概愚かだ」

嘆息が冷艶なる唇から零れ落ちた。それすらも掬い上げるように、楸瑛は唇を奪う。

愛情ではない、目の前の、嘗ては公子と呼ばれた青年に抱く思いは。寧ろ、腐れ縁であろう奇縁で結ばれた双花菖蒲の片割れの方が、いっそ愛しい。

「・・・っ、ん・・・・・・」

触れることすら許されなかった孤高の存在が、今、腕の中にいる、自分が仕えることとなった年下の王の孤独と引き換えるようにして。

唇から離れると、今度は髪、そして身体を傾(かし)いで、少し武骨ではあるけれど、武人にしては美しい手の甲へと口付けを捧げる。

「楸、瑛・・・」

吐息と共に零れた自分の名は、忽ち闇に掻き消えた。