其の名が弐度とは紡がれずとも |
「お前は、欲しいものは無いのか。」 唐突に言われた言葉に、雪那は片眉を上げた。そうして、言葉を放った主の方を見る。目線の先では、清苑が暇そうに窓の外を見ている。幾度か瞬く清苑は、雪那に微塵も意識を割いているように見えない。 暫く見つめていても、体勢を変えることの無い清苑に、先ほどの台詞は実は独り言の類だったのだろうか、と雪那が思った頃、ようやく主は雪那へと目線を寄越した。 絶妙の間合い。其れは、雪那が取り繕う事を妨害する。距離感が崩され、精神的に踏み込まれる気配に、雪那は目を眇めた。不快では無いが、違和感が背筋を撫でる。いつでも、清苑は そう だ。唯一、雪那の予測の中に入らない。其れは酷く希少で、尊いものだ。 「一応私は貴方より年上なんですが。」 雪那は立ち上がって、苦笑気味に言った。物をあやす様に与えられる立場では無い。己の弟と同じような扱いをするなと、言外に含める。 清苑は当然のように、雪那の意図を汲んだようだった。けれども、雪那へと向けた目線を僅か和らげ、言い訳の言葉を用意した。 「剣を呉れただろう。返礼は礼儀かと思ってね。」 其れはある意味、初めの言葉よりもっと、甘やかす方に近い言葉だった。雪那は一瞬上を仰いだけれど、其れを許容することで、年長者の矜持を保った。 「――許していただけるのなら。」 雪那は、清苑の方を見る。身長差に、目線は些か下向きになる。歩み寄ることはしない。清苑は、首をかしげて雪那の言葉を待っている。首を傾げると、髪の間から細い首が覗いて、其の細さが雪那に清苑の体の幼さを突きつける。雪那は少し諦めたように目を伏せた。息を一つ吐く。首筋がチリチリと焦燥で痛んだ。 「『清苑』で無い貴方を。」 沈黙は長かった。清苑は眉を顰める。雪那は、ゆっくりと瞬きをした。その間に、気持をあっさりと捨て去る。初めから此れは、拒絶されるための願いだったからだった。 未練のひとつも無く身を翻す。 「夜は冷えます。隣に布団を用意させていますので、お早めにお休み下さい。」 「雪那、私に冷たい剣を抱いて寝ろと言うのか?」 扉まで到達したところで言われた言葉に、雪那は不自然な形で立ち止まった。そのまま扉に額を押し付ける。木目は冷たくは無く、頭を冷やすのには足りない。 「・・・清苑公子。」 呻くように名を呼ぶ雪那に、清苑は楽しげに喉を鳴らす。 目を閉じた雪那は、立つ場所を錯覚した。敵わない。清苑が居るだけで、かつての王宮を雪那は思い出す。 「私はお前の主だよ。お前が望む限り。」 清苑は藍家当主である雪那に容赦はしない。そう云ったものを清苑は知らない。 雪那は扉を開け、何を言わず部屋を辞した。冷えた手を温める事は、雪那には出来ない。細さを知れば幻想は歪められる。 呼ぶ名など、清苑以外には無かった。 「・・・お前が、本気で欲していたのなら、」 独りきりになった部屋で、清苑は呟いた。中途半端に言葉を噤んで、自虐的に微笑む。 そうして、用意されている隣の部屋へは行かず、壁伝いにずるずると座り込んだ。剣を支えにして床に立て、柄の上で手を組んで、頬を乗せる。目をゆっくりと閉じると、意識ががくり、と落ちる。昏睡のようで、其れは計算しつくされた休息だった。何かあればすぐさま剣を振るえる浅い浅い眠り。清苑は、もうずっと、本当の眠りなどとっていない。遠い遠い日、愛した弟の近くで一瞬得た安息とて、他の人間が来れば保つことの出来ないものだった。若しかしたら、清苑にとって本当の眠りは死ぬまで無いのかもしれない。 半覚醒の状態で、清苑は剣の柄を弄る。白い指先が、剣を愛しんで撫でた。 清苑は、唇の動きだけでひとつの名を呼んだけれど、其の音を拾う者も、唇の動きを読む者も――想いを、受け取る者も。最早、居なかった。 世羅様から頂いたGWリクエスト祭小説第3弾は、雪那と清苑ですvvv 世羅様の書く清苑(静蘭も然り)が大好きです、諦観を露わにした姿が特に。彼の根底には、必ず劉輝がいることを髣髴とさせる世羅様の文章は、私の心を強く揺さぶります。 |