真直ぐな刃の銀が、陽の光を弾く。ぴたり、と空中で完全に静止している其れを、楸瑛は眩しげに見た。刃が弾く陽光が、酷く目に痛い。
瞬きをしなければ。思うけれど、楸瑛には出来なかった。瞬きの瞬間にも、世界は変わってしまうと楸瑛は知っている。一瞬を捨てることさえ、楸瑛には出来なかった。
そんな楸瑛を嘲笑うように、剣は、シャ、と軽い音を立てて鞘に収められた。チン、と鍔が鞘と触れて音を立てる。
「・・・見張って無くても自刃はしない。」
「え、」
些か疲れた声音で言われた言葉に、楸瑛は思わず声を上げた。言われた言葉が理解できない。けれど、思考はいつでも後からついてくる。其れは、声の主が、清苑が、決して誤らないと云う信仰から生まれていた。

「――私は、貴方が損なわれるのが恐ろしい。」

平坦な声音に、清苑は僅かに不快の色を瞳に浮かべた。けれど、楸瑛の言葉を直ぐに叩きのめすことはしない。一呼吸分の慈悲。其れは、清苑が臣下に与えるものの中で最も尊いかも知れないものだった。たった一呼吸分の、短い。思考を纏めるのにも逃げるのにも使えないその時間は、けれど、清苑に対して言葉を届けたことの証明だった。其の時間を、下賜されたことの証であった。

「今更、後悔するのか?」
放たれた言葉は、嘲笑の気配を漂わせていた。僅かに怒りを含んでさえ居る。其の怒りは正当だった。
紅家長子の屋敷で、静蘭と名乗り、優しく微笑んで、敬語を使う、そんな清苑を攫ったのは、楸瑛だ。清苑が他の人間の――よりにもよって紅家の人間のものになっていると云う事実に楸瑛は耐えられなかった。
清苑が手に入れかけていた、しあわせ、を。楸瑛は無残に踏み躙ったのだ。

王位争いにより発生した飢饉で痩せ細った清苑の体は、立っているだけで精一杯で、藍家の庇護の中不自由なく育った楸瑛には、連れ去ることはそれほど苦では無かった。其の事実は、清苑では無く楸瑛を苛んだに過ぎなかったけれど。
けれどそもそも、強引な手を使わずとも、清苑は抵抗はしなかった。無様な姿は決して見せなかった。静かな目で、私は最早清苑では無い、と言った後に、ただ一度問うただけだ。
お前は藍家のために生きて死ぬ事を如何思うのか、と。自分は、其れが誇りだ、と、答えた。そして、貴方は清苑だ、と、何度目か分からぬ台詞を突きつけた。
清苑は其れに、やつれた顔で、笑って見せた。其れはかつてと変わらぬ、王の血のものの微笑みで。
其のあとの自分の行動を、楸瑛はあまり良く覚えていない。ただ、喉を掻き毟りたくなる様な激情だけは、脳に焼き付いていていた。
きっと思い出すだけで訳も無く頭の奥が痛みを訴えるようなあの感覚を楸瑛は死ぬまで忘れない。


「私はお前の行動を咎めない。其れは藍家当主の仕事であって私に関係は無い。」
清苑はそう言って、もう一度、剣を抜いた。軽い鞘走りの音。薄く軽く、そして強い其の剣は、藍家当主が清苑にと贈ったものだった。二振り贈られた其れのうち、清苑が今手にしているのが銀色の刃、そして、腰に佩いているものは夜の闇より深い漆黒の刃を持っている。

「・・・それでもお前が望むのは、断罪か?」

完全な制御で、無駄な震えひとつ無く、清苑は楸瑛に真直ぐに刃を向ける。美しいその光に目を焼かれて、楸瑛は誘われるように瞬きをした。瞬きの前と後では、何も変わらない。けれど楸瑛は瞬きに絶望の足音を聞いた。
楸瑛は、緩く顔を左右に振る。

「わたしは、貴方を失いたくない、二度は、耐えられない。」
「そのために、藍家に連れてきたのはお前の過ちだ。」
「――藍家なら貴方を守り続けられる!」
真直ぐに楸瑛に向けられた刃は、その言葉を聞いて、陽の光を弾いた。背筋が震えるような寒気に、楸瑛は硬直する。
楸瑛の目の前で、清苑は己の首筋にひたりと刃を当てた。一ミリでも動かせば、血が溢れ出す。完璧に人体を知り尽くした動きだった。己の死の方法でさえ、清苑は最も効率の良い手を知っている。

「藍楸瑛。紫家が私を守れなかったと思って居るのか。」

噛んで含めるような。優しい声だった。けれど其れ故に突き放されたのだと、楸瑛は感じる。硬直したまま、楸瑛は清苑の首筋に当てられた刃だけを食い入るように見た。刀の白さと、清苑の肌の白さは異なるはずなのに、強い日差しに境界が溶けて曖昧になる。眩暈が楸瑛を襲った。

「私が、紫家を守るために去ったのだ。」

守るものと守られるものは、お前の認識とは真逆だ、と、清苑は微笑む。午睡にまどろむ様な、平和な空気を纏って、楸瑛を絶望へと押しやる。
「私を清苑として藍家に連れてきたと云うことはな、藍楸瑛。私に藍家を守らせると云うことだよ。」
自然な動きで、清苑は空を仰いで見せる。其の動きに、頚動脈が掻き切られないかと、楸瑛は全身に緊張を走らせる。清苑はそんな楸瑛を気にして無いようだった。柔らかな無慈悲を孕んだ視線が、軽く傾げた顔から伸ばされる。

「藍家のために生きて死ぬお前が、私を藍家に連れてきた。
私は、藍家のために生きて、
――藍家のために死ぬだろうよ。」

目を見開く楸瑛の前で、清苑は、首に当てた剣の柄から手を放した。無造作な動きに、服を僅か切り取って、剣は地面へと刺さった。
無意識に計算されているのか、其れとも計算づくなのか、剣は清苑と楸瑛の間に、垂直に軽い音を立てて刺さった。陽の光を弾く銀は、清苑が楸瑛に対して引いた境界線のようである。

「お前は藍家のために、生きて死ぬと言った。」

其れは、清苑によって放たれた問いの一部では無いのだろうか。楸瑛は思う。其れとも、過去に自分は其の台詞を既に言っていたのだろうか。
楸瑛は清苑ほどに記憶力は良くは無い。無意識の言葉まで記憶の中に留めさせておくことが出来るような人間ではなかった。其れでも必死に記憶を辿る。清苑と初めて会った、あの空の下まで。

思考に迷う楸瑛に向かって、清苑は、右手を掌を下にして伸ばす。痩せた手は、少し荒れていて、血管が透けるほどに白く病的で、それでも高貴さを失っては居ない。
楸瑛は其れをじっと見つめた。暫くしてようやく、足音にさえも脅えるようにゆっくりとゆっくりと歩みを進めて、両手で清苑の指を押し抱く。

「其れは、お前の、誇りだろう・・・?」
「ええ、」

――そうでしたよ。

楸瑛は清苑の指先に、唇を押し当てる。冷たい手だった。骨の目立つ、痩せた手だった。足元に剣が突き刺さっている。

藍家は楸瑛の全てだった。誇りであって矜持であった。其の立ち位置のままに、楸瑛は私事で動いた。動いてしまった。
其の報いは正確に楸瑛に返され、誇りは呪いとなって、楸瑛の足を縫いとめる。
「――其の誇りを捨てるなら、」
楸瑛の耳元で、清苑はそう、と囁く。まるで宝物を壊さぬように置くような其の繊細さが、楸瑛を苛む。甘い声に、楸瑛は歯を食いしばった。
視界の端に、刃に映る空が見えた。真っ青な、美しい晴れ渡った空。天啓のように唐突に、楸瑛は清苑の努力を理解した。

「公子。」
「何だ?」
「ありがとう、ございます。」

掴んだままの指先が、僅か震える。其れでも振り払わない清苑に甘えて、楸瑛は細い細い手首を掴んだ。親指と中指が当たっても、まだ隙間がある。
(此の手で、此の人は剣を振りおとすのか。)
日差しはかわらず暖かい。午睡の時間であった。頬だけが冷たく、俯いたままの楸瑛は、目の裏に焼きつく、清苑の肌と刃の境界を夢想した。





貰ってばっかりですいません・・・・・・世羅様からいただきました、フリー小説です。
今度は楸瑛×静蘭と、なんとも素敵なお話ですvvv王家の内乱の折に、楸瑛が静蘭(清苑)を見つけていたら・・・というIF話だそうです。世羅様の書く楸瑛×静蘭が好きです。この、静蘭(もしくは清苑)が楸瑛の首筋に剣を当てているような殺伐とした関係が以前から好きでした。そして、これからも好きです。カッコイイこと言ってる楸瑛よりも、うっかり失言しちゃう楸瑛の方が愛しいです(ぇ)
タイトルがドストエフスキーを髣髴とさせて、素敵ですvvv