背 中 合 わ せ |
部室に戻ると、手塚と不二は帰るために着替え始めたが、一向に会話が成り立たなかった。手塚は何か言いたそうな顔をしていたが、不二が、不二の発している雰囲気がそれを拒んでいた。まるで、話し掛けるな、とでも言うように。 着替えをする不二の手つきが心なしか素早く見えるのは、きっと手塚の気のせいではないだろう。一刻も早く、この場から出て行きたい、不二はそう感じていた。 「・・・・・・」 「・・・・・・」 沈黙が部室を支配していた。 「・・・・・・・・・・・・不二」 「・・・っ」 急に呼び掛けてきた手塚の声に、不二は敏感に反応した。びくっ、と不二が震えるのがわかった。しかし、不二は手塚に対し、返事もせず、ただ何も言わずに黙っていた。 「このまま終わるつもりなのか?」 「・・・・・・」 「負けたままでいいのか?」 「いいわけ・・・っ・・・・・・いいわけないだろ」 手塚の言葉にむかっ、ときて、不二は重く閉ざしていた口を開いた。手塚と喋りたくはなかったが、このまま一方的に言われるのも我慢ならなかったのだ。 「じゃあ、何故、倒してやる、くらい言わない」 「・・・・・・言って欲しいの?」 「さあな。ただ、辛気臭いのは、不二には似合わない」 手塚が本気で言ってくれているのは、不二にもわかった。 「・・・・・・・・・倒してやる、絶対に」 「そうか」 不二がそう言葉を言った瞬間、手塚の表情が変わったのに、不二は気付いた。笑顔・・・とは言えなかったが、何処か満足したような雰囲気を漂わせていた。 「だから、覚悟してろ」 そんな手塚につられてなのか、そうも不二は言った。不二の表情に笑顔が戻った。 「キミは・・・・・・僕の壁だ」 例えば、1人で壁に立ち向かって行く場面を想像したら、きっと不二の目の前には壁ではなく、手塚がいることだろう。 手塚が不二の壁で。 だから、それを踏み潰してでも乗り越えてやろうと、思っている自分がいるんだろう、と不二は思う。 「後悔しないでね・・・・・・僕を、ここまで本気にさせたこと」 「そんなことするわけないだろう」 ただ、誰かを本気にさせた対象が自分であることに喜びを感じる自分がいるのに、手塚は気付いた。それが、不二なのだから、その喜びは一入[ひとしお]だろう。 不二となら、いつでも本気で戦いたい、そう手塚は思っている。 「・・・ということで、手始めにキミ以外の部員を全員伸してみることにします」 手塚に勝とうと思ったら、それ以外の人間には負けるわけには行かない、不二はそうも言っている。それを、少々口悪く言っているだけだった。 「強くなるのはお前だけじゃないぞ・・・・・・不二」 不二は、手塚に名前を呼ばれた瞬間、なんとも言えない感覚に襲われた。誰かに名前を呼ばれても、こんな感覚に襲われたことはなかった。力強く、優しく、大きく包んでくれるような・・・そんな感じだった。ある種、それは父親よりも大きなもので、母親よりも優しいものだった。 「・・・・・・・・・手塚、キミ・・・何歳?」 「なにを言っているんだ・・・・・・お前と同い年だろう」 「うん・・・そうなんだけどね、こう、ぼわぁ、っと、貫禄を感じてね」 ぼわぁ、と言ったとき、なにやら不二の両手が宙で不思議な動きを見せた。 「・・・まだ、濡れてるぞ、髪」 手塚は、手にしていたスポーツタオルを不二の頭に被せると、不二の頭に両手を乗せて、乾かそうとした。その行動に、不二はかなり驚いて抵抗を見せたが、手塚が不二の頭を上から強く押して、それを止めていたから、それ以上は何もできなかった。 「痛いって・・・・・・・・・・・・・・・らしくないよ、手塚」 「そうか・・・・・・たまにはいいだろう」 それでも、手塚の手の動きが優しくて、やっぱり不二は拒むことができなかった。 やはり、この男は年齢を偽っているとしか、不二は思えなかった。どうしたら、こんなふうになれるのか・・・けして、なりたいとは思わないが、不二は不思議でならなかった。 「・・・・・・手塚だってまだ乾いてないじゃない、髪」 そう言って、手塚にされているように、不二は手塚の髪へとタオルを掛けて拭き始めた。拭いているんだから、頭が揺れてしまうのは避けられなく、そのせいで、手塚の眼鏡がずれている。しかし、手塚は一向にそんなことは気にはせず、ただ不二の頭を乾かすことに専念していた。 手塚の方が不二よりも高いとは言え、まだ成長過程の2人は、10cmも身長差はない。まだ5pくらいだろうか。だから、お互いの髪を乾かすという行為は、そう大変なことではなかった。 「・・・・・・これじゃあ、自分で乾かした方が楽かもね」 「いや、誰かにやってもらう方が気持ちがいいだろう?」 すると、手塚の手の動きが止まって、不二はどうしたのか、と尋ねた。 「・・・大分乾いた」 ぽつりと、手塚が呟くと、不二はタオルの下にある髪を見て、毛先を軽く触った。いつものように、ちゃんと乾いている。これなら、歩いて帰っても風邪はひかないだろう、と不二は安心した。 「・・・ありがと・・・・・・・・・って・・・うわっ・・・」 まだ不二の頭に被さっていた手塚のタオルを、手塚が自分の方へと引っ張ると、不二はいともあっさりと手塚の方へ倒れこみ、その隙に、手塚は不二の唇を塞いだ。 「・・・・・・っ・・・・・・なっ・・・」 キスされた、という事実を、すぐさま不二は理解すると、手塚の胸を両手で押し返した。塞がれた口を、手で拭って、不二は手塚を凝視した。あまりにも一瞬の出来事過ぎて、不二には手塚の行動を避けることができなかったのだ。 「最低・・・っ」 「・・・2回目だな、その言葉を聞くのは」 不二は、頭の上のタオルを手に取ると、手塚へと投げつけたが、手塚はそれをあっさりと受け取った。それが、余計に気に入らなかったのか、不二は更に気分を悪くした。 「嫌だったのか?」 「嫌とかそういう問題じゃない・・・・・・どうかしてる・・・」 何を言ったらいいのかわからない、不二はそんな様子だった。しかし、できる限り、言葉を選んで、口から吐き出している。 「頭おかしいよ・・・僕にこんなことして、一体何処がいいのかわかんない」 できることならば、時間を戻したい、不二はそう思った。せめて、5分だけでも・・・と。 「折角、苛々してたのもなくなったと思ったのに、これじゃあ逆戻りじゃないか」 「それは悪かったな」 「全部、キミのせいだからね」 不二は、自分の手の中にあるタオルを畳み、素早くテニスバッグに収めてしまった。 「手塚のせいで帰りも遅くなったし、キスは奪われるし・・・今日は負けるし・・・最悪」 「帰りが遅くなったのも、負けたのも自分が悪いんだろう」 「キスしたことは否定しないの?」 キスを奪われた、という言葉だけは否定しなかった手塚に、不二はすぐさま飛びついた。手塚を貶めたり、責めたりできるなら、不二はもうどうなろうが知ったことではなかったのだ。 できるなら、手塚に仕返しをしたい、そう思っていた。やられっぱなしでは、不二のプライドが許さなかった。 「・・・・・・まあな」 「手塚、僕のこと好きなの?」 「自惚れるな」 「そりゃ、あの手塚くんからキスされた、なんてことになったら、誰だって自惚れたくなるよ?」 このまま、手塚が狼狽してくれれば・・・そう思っていた不二だが、次の手塚の言葉によって、そんな考えすらも消えてしまうくらいの疑問を抱いてしまった。手塚の突発的な言葉は、不二のペースを崩す。 「お前は、好きでも嫌いでもない・・・」 「・・・?・・・じゃあ、一体なんなのさ」 「わからないが・・・・・・誰よりも、俺に近くて遠いような・・・そんな感じだ」 手塚の言葉はわけがわからない、と不二は思ったが、それは自分にしてもあまり変わらないので、あえて口には出さずに、心の中に留めて置いた。 「・・・・・・・・・それって、結局好きなんじゃないの?」 「だから違うと言っている」 「じゃあ、なんでキスしたのさ。普通、好きでもない相手にキスする?手塚はそんなことするような男には見えないよ」 しかも、自分は男だ、と不二は手塚に訴えた。 「・・・答えられないなら、僕は勝手に解釈しするよ」 「どう解釈するんだ?」 予想通りの手塚の質問に、手塚は顔に笑みを浮かべた。 「手塚は、僕を誰よりも特別に想っていて、キスしちゃうくらいに好きだ・・・って」 「自惚れるな、とさっきも言っただろう」 呆れたような顔をして、手塚は再び言葉を繰り返した。 「じゃあ、手塚も自惚れればいいでしょ?」 不二の言葉に、わからない、というような手塚の顔があった。やはり、手塚にとっても、不二の言葉はわけがわからないのだった。 「キミは僕の目標であって、壁なんだ・・・だから、キミを誰よりも見ているんだよ?」 そう、笑顔で言った不二は、そんなことを言っている自分を一瞬恥ずかしく思った。でも、間違ってはいないのだ。やはり、手塚と同様、不二にとって手塚は好きでも嫌いでもない存在。倒したいと思っている相手に、好きも嫌いもなく、ただ、周りよりは特別だった。 「・・・・・・手塚は、いかにして僕に勝ち続けるかが、僕を捕まえていられる唯一の方法なんだ」 「お前を捕まえていたいとは思わないが、俺はお前には負けない」 「それでいいんだよ」 どちらにしても、変わらないんだから、と不二が口にして、また笑った。 手塚は、不二の笑顔にいつも振り回されっぱなしだった。だから、たまには、自分が不二を振り回してみたい、と思った。そのせいか、らしくもない行動をしたのだ。 「手塚にとって重要なことは、誰にも負けないことなんだから・・・僕以外にはね」 そう言って不二が笑うと、手塚はただ黙っていることしかできなかった。 不二にとっては手塚、手塚にとっては不二が、お互いに特別だった。ただ、それを口にしたとしても、素直に相手には伝わらないだけで、お互いを特別に扱っていたのだ。それが、一体どのような想いから出た行動なのかは、本人たちも誰も知らなかった。 END |