背中をキミに預ける |
滑らかに垂れ下がる長い髪の一房を掴む。流れるように逃げていく髪は、本来そうであるからなのだろうが、流石、自分が毎日梳いているだけのことはある、と那智は思う。 「颯太、お前、絶対に髪切るなよ。」 懇願というよりは、もう命令の域にある那智の言葉に、髪を弄られている本人は、背後にいる那智の方を振り向くことすら許されず、座らされている。 「切る予定はないんだが・・・・・・お前が決めることじゃないだろう。」 「これは、俺の趣味だ。」 威張って言うことか、と心の中で、颯太は悪態をついた。 長い髪を結わえてくれるのは、確かに助かっている。寧ろ、感謝をしているほどだ。但し、この態度さえなかったら、この感謝の言葉はもっと円滑に相手に伝わっているだろう。 「自分の髪を弄っていればいいだろ・・・・・・・・・っ痛!」 急に、後ろ髪を強く引っ張られて、颯太は、頭から後ろに倒れこんでしまいそうになったのを、既の所で止めた。髪から那智の手が離れたお陰で、今度はちゃんと那智の方を向く。無い体力を余計なところで使ってしまったので、颯太は、抗議の言葉を直ぐには出せなかった。呼吸が、少し荒い。 「・・・・・・おいっ、危ないだろう!」 「黙ってろ。」 やっとのことで吐き出した言葉も、間隔を空けずに放たれた那智の言葉によって、掻き消された。 視線が重なった。 心臓を鷲掴みにされた感じがして、思わず息を呑む。その碧色の瞳に、颯太は何も口にすることができなかった。 「お前の髪を弄るのが好きなの。わかったら大人しくしてろ。」 そう言われた途端、颯太は反撃の言葉を、全て叩き落とされたような感覚がした。言い返す言葉が見つからず、少しの沈黙がその場を制した。 「・・・そこで黙るな。」 先にそれを破ってきたのは、那智だった。 那智の顔が心なしか赤いのは、見間違いなのだろうかと思ったが、それ以上に自分の方はどうなっているのだろう、と顔に手を当ててみるが見えるはずもない。ただ、少し熱が上がっているのを、掌に感じた。 珍しく、那智の口から好意的な言葉が出たから、照れているのだろうと思った。 そして、颯太は、何故那智と向き合う格好になってしまったのか、と後悔した。あのまま前を向いていれば、もう少し落ち着いていることができたのに、と。 「嫌なのか?」 再び言葉を発したのは那智だったが、やはりその問いでも返答に詰まった。思わず逸らしてしまった視線を、戻すことも困難だった。これではまるで、心底嫌がっているようにしか見えないのではないだろうか、と、颯太は不安になった。しかし、視線を合わせていられないというのにも抵抗があった。 痺れを切らした那智は、繰り返し尋ねてきた。右手で、颯太の横に垂れている髪を一房掴みながら。心做しか、視線がきつい。 颯太は、身体を動かすことも言葉を発することも出来ず、ただ軽く首を横に振った。 「それならいいだろ、別に。」 今度は、首を縦に振る。肯定の証に。 満足のいったような顔をしている那智に、颯太は胸を撫で下ろした。そして、再び颯太の背後に回ろうとする那智に、何も言わずに全てを委ねることにした。 END. |