撫でたり抱いたり さよならしたり |
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たとえば、その指一本だけでも、この身体の何処かに触れられてしまったら、自分はその瞬間、拒絶とも云えるほどの反応を示してしまうのだろうなと、珀明は考えて、目の前に現れた男を横目で見遣った。その珀明の思いを知ってか知らないでか、毎度のように接触を試み、そして、実行してくる藍龍蓮は、その身に纏う数々の重そうな装備(けして装飾などと呼んでやるものかと、些細な抵抗をしてみる)を自ら剥いでいる最中であった。大抵、それをするのは珀明の役目であったのだが、なかなか動き出そうとしない珀明に、龍蓮は痺れを切らしたのだろう。そして、卓子の上に横笛を置いたときの、何とも云えぬ重量感のする音は敢えて聞かないでおこうと、珀明は目を瞑った。 そうだ、この男が自分の目の前に現れていつも思うことは、今度は一体、何を持ってきたのかと云うことだ。これは、別に物理的なことだけを孕んでいるわけではない。主に、厄介事とかそういったものだ。この男、龍蓮が、それを意図していなくても、齎した人物でなかったとしても、少なからず関わっているのだろう(だって、彼という存在は、そういうもの、なのだ)。それも、よりにもよって藍龍蓮が自ら関わっているということならば、そうとう厄介で複雑なものなのだろう。どうでもいいことや関わらない方がいいことならば、さっさとここ(つまり、貴陽のことであるが)を離れてしまえるだけの行動力は持ち合わせているはずである。 だから、いつも尋ねたくて堪らない。今回は、一体、何があったのかと。しかし、大抵は、会いたかったと云う短い一言で済まされてしまうのだ。それが、本心や事実であったとしても、そこに付随する何か(逆にそれに付随されているのかもしれない)があるのだろうということは、平素珀明が抱えている見解である。 「……いや、心の友其の三に会いに来たのだが、」 「っ――今、口にしていたのか、」 龍蓮の発言に、咄嗟に意識をそちらへと戻す。よもや、そのような失態を犯すとはと後悔をするが、ああと、短く返されて、珀明は穴があったら入りたいとはこのことなのだろうか、いや、寧ろ自ら穴を掘ってしまいたいと思った。けれども、次の日は全身筋肉痛だろうなという確信を抱くほどには運動不足であることは否めない。 「実は、先日まで、茶州に滞在していた」 「茶州と云うと……影月のところか、」 龍蓮は首肯する。 やや遠回しに紡がれた言葉ではあったが、珀明はその発言の意図をしっかりと拾い上げると、長いこと顏を合わせていない年下の同期を思い出した。あれは元気でやっているだろうか、秀麗と同じで口を出さなければすぐに無茶をする質だ。誰かが見張っていなければなるまい。しかし、その秀麗から聞いた話によれば、すぐ傍にお目付け役もいるようだから、その点は安心しても良いということではあった(しかも、それは女子ときたから、生意気なものだ!)。 「…心の友其の二から、其の一と其の三へ、文を預かってきている」 「……そうか!」 徐に懐から取り出した二つのそれを、龍蓮は示す。 手渡された文を見てみれば、何処か心が躍るような、そんな気分がする、少なくとも悪い感じは全くしない。まあ、あいつも遠い友に文を寄越すくらいの余裕があるのだと(そして、龍蓮の相手をする余裕も)思えば、先程の心配は杞憂だったのかもしれないと思う。 「…ん、秀麗の方は、少し厚いんだな、」 「……ああ、複数人分の文が含まれているらしい」 そうかと、珀明は納得する。仮にも、茶州州牧として茶州に一時期滞在していたのだから、仕事面の繋がりだけではなく、それなりの交友関係もできて当然と云える。だから、影月の序でにと云って、筆をとった者がいても何ら不思議ではない。 「秀麗には、明日、届けに行こうと思っている」 「それなら、僕も行こう。仕事を終えて退出するまで、待っていてくれないか、」 「ああ、」 良い返事が返ってきて、珀明は一度頷いた。 ゆっくりと、手にしていたままの影月からの文を広げると、中身を確認する。 そう云えばと、今から影月がこの王都から茶州へと向かった日を逆算すれば、もう一年以上の年月が経っている、つまりはそれだけの顏を合わせていないということになる。文の中身によれば、息災であるようだから、安心はしてもいいのだろう。それよりも、自分よりも成長期である彼は、その年に見合うだけの発達を遂げているのだろうか。できれば、二、三も年下に身長は超されたくないものだと思いながら(吏部に勤めてからというもの、自分の成長期に打ち止めを感じずにはいられないのだ)、次の再会はいつだろうと、文の結びの辺りに綴られている、彼のまた会いたいですと云う言葉に同意しておく。 多忙を極める日常で、友である彼らのことを思い浮かべることはそう多くはないが、文で繋がっているこの関係に、今のところ不満はない。それに、そのうちの一人は会おうと思えば会える距離にいる。もう一人は、神出鬼没で殆ど見えることはないが、少なくとも、ここにいるではないか。 「……珀、」 「ん、…ああ、どうかしたか、」 「影月は、何と云っていた、」 「端的に云えば、お元気ですか、また会える日を楽しみにしています、だな。明日にでも、返事の文を認めて、早速茶州に送るとするよ」 殊更突出するような話題はないが、寧ろそれが良い報せと云えるのだろう。しかし、その前に、秀麗のところに、おとないの文を書いて送っておかなければなるまい。突然訪問するのは龍蓮の得意とするところで、秀麗も叱りはするものの最終的には招き入れる、しかし、今回は自分もいるのだからそう云うわけにはいかない。親しき仲にも礼儀あり、とはこう云うときに使うべきだ。 「…うむ、それがよいな。影月も、きっと珀明の返事を待っているに違いない」 「……こんなことを云うのも失礼かもしれないが、こう云うことを云われると、少しだけお前が羨ましく思える。今の僕では、あいつに会いに行くことがままならないからな」 無いもの強請りだ。 「珀明、」 「…悪い。……わかっている、自分が莫迦なことを云っているのも、お前に対して無思慮だってことも、」 わかっているから、触れてくるな。そう云って、伸ばされた腕から逃れるように、珀明は、その手を押し遣る。静かな口調から逃れる。しかし、急に中指と示指だけを掴まれて、捕らえられる。離せと云っても聞かないだろうことはわかっていたが、それでも、敢えて口にするのは、最早癖だ。振り解かないのは、前言に対する僅かな罪悪感が邪魔をしているからだ。 「……悪い、お前に甘えていたんだ、」 僅かな後悔の色を、その瞳に示しながら、珀明は顏を伏せるように足元へ向ける。 龍蓮が、今の発言に怒りを覚えることは当然だ。けれども、それでも最終的には許して呉れる、そんな甘えがあったからこそ口にしてしまったに違いない。いや、寧ろ、そうであって欲しいと願っているのだ。 「…それなら、私は、珀明たちに甘えてばかりだ」 少しの沈黙を持って、自分の頭よりも少し上の方から降ってきた言葉に、珀明は面を上げた。すると、目の前には、苦笑の色を浮かべた顏をした龍蓮が、珀明を見つめていた。無理して笑っていると云うわけではない、そこには自嘲や卑屈は含まれてなどいない、だが、僅かな悲しみはあった。 そして、その言葉通り、甘えるような仕草で腕が伸びてきて、いよいよ珀明はそれを受け入れた。 「………まったくだ、」 了 |