茶 話



珀明が戸部を訪れると、そこの執務室では、丁度、戸部尚書と侍郎が毎日1階と定めたお茶の時間をとっているところに出くわした。他の官吏は出払っていて不在だった。今までも何度か訪問したことはあったが、いつも尚書である黄奇人が机案へと向けた視線を外すことはなく、他の官吏が取り次いでいた。

「吏部の碧官吏ですね」

珀明が礼をとって挨拶をすると、優しげな声で戸部侍郎の景柚梨が反応した。

「はい、書簡をお届けに参りました。それと・・・」
「碧官吏」

話し始めた珀明の言葉を遮るように、仮面越しのくぐもった声で奇人は珀明の名を呼んだ。反射的に珀明は、はいと返事をする。
そして、今では殆ど慣れてしまった仮面姿の奇人へと視線を合わせる。吏部の上司たちに聞いたところ、彼の仮面はその恐ろしい顔を隠すためだとは聞いているけれども、親戚である工部侍郎の欧陽玉の反応から、どうやらそうではないようだと、珀明は最近感じている。造詣が深く、綺麗で美しいものが好きな彼の反応なのだ、どう考えても醜悪な顔であるはずがない。
『貴方も是非御覧になることができればいいのですが・・・難しいでしょうね。』少し残念そうに言う玉は、常々工部から戸部への移動を主張している。珀明も何度か耳にした経験がある。それに、自分のような下っ端が早々拝めるはずもない。でなければ、そのような噂が飛び交うこともない。

「見ての通り、我々は茶の時間だ。休憩中であるから、仕事の話は後にしてもらおう」
「し、しかし・・・」

とりわけ急ぎの内容でないことは承知しているが、その間どうすればいいのか判断に詰まり、珀明は少し狼狽した。公私をきっちりと区別しているのはよいことではあるとおもうが。

「黄尚書、もう少し言い方を・・・そうだ、碧官吏。貴方もご一緒にどうでしょう?お茶の時間が終わるまで、もう少々時間がかかるので」

そう言いながら、柚梨は新しい器にお茶を入れ始めた。珀明が断る隙も作らせず、それでいて強引だと受け取らせない動作に、珀明は少し感嘆を覚えた。

「というわけだ・・・座りなさい」

侍郎の言葉に異論があるふうでもなく、奇人は淡々と述べた。冷たい言い方だと思わなくもないが、ただの下っ端でしかない自分をこうしてお茶に招いてくれる辺り、うちの尚書に比べれば温かみすら感じてしまうと、珀明は無謀にも感じた。吏部の紅尚書は、とにかく仕事を侍郎に任せきりであるので、その負担はどうしても下に回ってくるのだ。

「は、はい。それでは、失礼します」

示された椅子に礼儀正しく腰を下ろす。丁度向かい合って座っている奇人と柚梨を左右に拝見することのできる位置だ。差し出されたお茶に、珀明は柚梨へと小さく礼をとった。

「お茶請けもあるので、どうぞ。・・・・・・そう言えば、碧官吏は、秀くんとは同期でしたね」
「秀・・・ああ、秀麗、いえ紅官吏のことですね。はい、そうです」

秀くん、と言われ、少しばかり返事が遅れたが、珀明は肯く。一体、あいつはどれだけ伝手があるのかと呆れてしまう。珀明の上司である紅尚書は秀麗と同じ姓であり後見人でもある、その上、双花菖蒲と謳われる吏部侍郎の李絳攸、左羽林軍将軍の藍楸瑛とも顔見知りなのだ。
そう言えば、と珀明は思い出す。朝賀で貴陽へと戻ってきた秀麗は、これからの茶州を支える案件のためということで、全商連や工部にも乗り込んでいた。こともあろうに工部の管尚書とのみ比べをして勝利し、一躍時の人とまでになっていた(飲み比べを挑まれていたのだ)。つまりは、今は、そちらの方にも多少なりとも伝手ができているのだろう。

「彼女は頑張っていますね・・・茶州は、大丈夫でしょうか」

湯気の出ている器を眺め、珀明はその香りを吸って、一呼吸置いた。色、香り、葉からそれが「君山銀針」であることがわかった。黄茶を代表するお茶で、白毫がある黄金色の茶葉は香りがとても爽やか、甘く芳醇な味わいだが、稀少価値は非常に高い。早々手に入る代物ではない。

「私は、信じています。あいつ・・・紅官吏も杜官吏も、きっと大丈夫だと」

王の意見すら翻し、武力に一切頼らず、武官を具すこともなく茶州へと戻っていった彼女に、珀明は誇りすら抱いた。王が、1度は禁軍を出すとまで言った危険な場所へと、自らの命さえも省みず向かった彼女を、誰もが愚かだと思っただろう。影月に関する詳細も途絶えた。秀麗が貴陽を出た頃、いつのまにか龍蓮もの姿も見られなくなった、もしかしたら茶州へと向かったのかもしれない。あれが動くということは、相当な危機なのだろうか。
信じてはいる、それでも時折一抹の不安が胸を過ぎる。珀明は、落ち着こうと再びお茶を飲む。

「そうだな・・・・・・あれは、強い」

奇人の言葉に珀明は瞠目した。これは、厳しいことで有名なこの尚書の手放しの賞賛なのではないだろうか。柚梨へと視線を移すと、その言葉に肯定を示している。少しだけ珀明の心が浮上した。

「そう言えば、黄尚書も景侍郎も、紅官吏と親しいようですね」

茶州に戻る前に秀麗が府庫で、父である邵可へと泣きついていたとき、そこには戸部の2人も(勿論、他にも大勢)いたことを珀明は思い出した。そのまま、そこですっかり寝入ってしまったのだ。

「え、ええ・・・以前、少々知り合う機会がありまして」

まさか、去年の夏に男装して侍憧として戸部で働いていたとは言えず、柚梨は適当に言い繕う。

「そうなんですか・・・」

そう言ってから、珀明は冷めてはいけないとお茶を口に含む。甘くて美味しい。悪鬼巣窟とまで囁かれている吏部で溜まりに溜まった疲れも癒されそうだった。

「・・・・・・っっ!」

すると、いきなり奇人の被っている仮面の口の部分が開く(どうやら、何処かに開閉のための装置があるようだ)。それをまともに見てしまった珀明は、驚いて椅子から立ち上がりそうになったが、それよりも、何かを口に含んでいなくて助かった、失態を見せずに済んだ。
なかなか仮面から視線を外せないでいる珀明は、まじまじと仮面を鑑定し、ふと気が付いた。

「(あれ・・・やっぱり、この仮面・・・)」

しかし、そんな珀明の様子を気にもせず、奇人は茶を飲み、お茶請けを口にする。柚梨は、どう言ったらいいものかと、説明に困っている。

「・・・・・・こ、黄尚書、以前から気になっていたのですが、その仮面・・・」

しかし、事が済んでしまえば珀明の立ち直りは早かった。それこそ、天衣無縫で猪突猛進で騒がしい女好きの姉や天才と莫迦は紙一重をその存在で体現している龍蓮で、悲しいことに抗体ができている。これくらいなんだ、こんなことで動揺していては、今まで生き残ることなどできなかった。珀明は、今更切実に感じた。

「・・・なんだ」
「・・・・・・あの彫刻師、雅旬の作と御見受けします。なかなかお目にかかれないのですが・・・まさか、こんな近くにあるとは思いませんでした」

前から薄々と察してはいたものの(まじまじと見ることは躊躇われたのだ)、今こうして直視して、珀明は漸くわかった。なるほど、黄尚書ともなれば、それを手に入れるだけの力があるのか。

「よく、わかったな・・・・・・そうか、お前も碧家だったな」

あの兄莫迦で仕事のしない男の下で働いているだけのことはあると、仮面の下で笑みを見せながら奇人は冷静に返事をする。奇人の目の前で、柚梨は面白いと言わんばかりに笑っている。自分は何か笑わせるような発言をしただろうかと、珀明は疑問に感じた。

「・・・・・・全く、あれの周りには、厄介な者ばかり集まる」

まるで、意図したように大物ばかりを釣り上げる。この青年も将来が有望だと、奇人は珀明を見遣る。そんな奇人の心中を察知して、柚梨も言葉を返す。

「本当に恵まれていますね、彼女は。それに、貴方もその内の1人ですからね」
「・・・さて、そろそろ時間だ」

その言葉を聞いて、柚梨は茶器を手際良く片付けていく。
柚梨が片付け終わると、奇人が立ち上がり、珀明の持ってきた書簡を手にする。その瞬間、今までの雰囲気が払拭され、一気に公務中の執務室に相応しい雰囲気に代わる。珀明は背筋を伸ばした。







ありえない組み合わせ。そして、珀明くんの鑑定力。
とりあえず、君山銀針、というお茶は実在します(彩雲国にあるかは・・・いや、ないだろう)。だが、非常に貴重なので手に入りません。1年に200sしかできないので、市場にあるものは偽物ばかり。ただ、鳳珠が登場したので(文中では、敢えて奇人としていますが)「黄茶」を選びたいがために出しました。お茶請けは、ちなみに「鳳梨酥」というお菓子(がいいです)。これもやっぱり、鳳珠と柚梨が登場するので選びました(CPみたいというつっこみは勘弁してください・・・)。「鳳梨」とはパイナップルのことです。(絶対、彩雲国にはありませんよね。)
黄尚書、秀麗のこと好きですよね・・・書いてて思った。「あれ」だなんて、親しくなきゃ使わないよ!(私が言うか)
というか、戸部って言ったら、気になるあの人!!「碧遜史」!!(碧姓だから・・・珀明と一応は親戚・・・だよね。)彼がどういった人物かわからないので、今回は引っ込んでもらいました。話にも出しません。うっすら匂わせている部分はあるにしても、正体不明なのでもうそれでいいです。(ぉぃ)
時期は、秀麗が朝賀から茶州へと戻り、少したった頃。同時期に龍蓮も馬で単身茶州に(影月を助ける方法を見つけるために)向かうのですが、きっと珀明はそれを知らない・・・という設定で。影月のため急いでいたので、珀明に会う時間を作れませんでした。友への愛は平等なのですが、一大事なので。(でも珀明は、なんとなく察しているといいな。)