ぼくら、 魚のように離れないから |
「・・・・・・・・・随分と、仲が良いわね、あんたたち」 厨房へと茶と茶菓子を取りに出ていた秀麗が、再び、龍蓮と珀明を待たせてある室(へや)まで戻って来るなり、目にした光景に、少しの沈黙の後述べた言葉が、それであった。そこに含まれたものは、驚愕と云うよりは寧ろ呆れの割合の方が大きいのだろうが、それでも、いくらかは見慣れてしまったものであったため、秀麗が、手にしている盆を落とすと云う、この紅家にとって最悪の結果に通じるものにはなりはしなかった。 「おかえり、心の友其の一」 「・・・・・・云っておくが、僕じゃないぞ。こいつが勝手にしてきたことだからな」 少し疲労したような表情と口振りで、珀明は辯解して見せた。そんな珀明を、龍蓮は椅子に座り、その膝の上に乗せて後ろから抱き締めている。身長も体格も、珀明に較べれば明らかに龍蓮の方が勝るのだが、それでも膝に座る分、僅かに珀明の頭の位置が、龍蓮のそれよりも高い所にある。 「わかってるわよ・・・珀が、自分から龍蓮の膝に乗って甘えている図・・・なんて見ちゃったら、驚きのあまり、お客様用の茶器を割っちゃいかねないわ」 珀明の言葉に、淡々とした言葉を返しながら、秀麗は珀明たちに振る舞うために、茶を淹れ始める。後ろから抱き締められている珀明にはわからないが、至極嬉しそうな顏を浮かべている龍蓮を見て、秀麗は、仕方がないと云うように溜息を吐く。ここに影月がいたら、恐らく珀明と同様、龍蓮の膝に乗せられているのだろうなと思ってしまう辺り、自分も龍蓮の行動をある程度予想できているのかもしれないと、秀麗は感じた。 「お前・・・冗談でも、恐ろしいことを口走ってくれるな・・・・・・・・・というか、助けてくれ、」 先程から、幾度か龍蓮の拘束から逃れようとしている珀明だったが、如何せん、足底が床に着いていないせいで、上手い具合に踏ん張りもきかず、未だに効を奏していないでいる。 「厭よ。お茶を淹れ終わるまでは、そのままでいてちょうだい。折角龍蓮が大人しくしているのよ、この機会を逃すなんて勿体ないわ」 だから、もう少しそのままで我慢して。と、秀麗は残酷にも、珀明の言葉を押し返した。 「鬼・・・」 見捨てられた珀明は、渋りながらも諦めを見せて、そのまま後ろの龍蓮へと凭れるように、逃げるように前傾していた重心を後退させた。すると、先刻から、珀明を離すまいとしていた龍蓮の腕に込められていた力が緩むのだから、珀明は苦々しい表情を浮かべざるを得なくなる。だからといって、今が好機だ、と解放を望むには、もう随分と諦めるところまで行き着いてしまったのだ。 「・・・それにしても、影月くんは元気にしているかしらねぇ」 こぽこぽと、あたたまるようなお湯の注がれる音と共に、秀麗は、もう一人、残った心の友である影月の名を出して、懐かしげに言葉を漏らす。 「また、無茶して仕事ばかりしていないといいんだがな」 「・・・まあ、そこは香鈴がどうにかしてくれるとは思うんだけどね」 苦笑しつつも、秀麗は、珀明の言葉に応える。今までの、影月の仕事や勉学に対する熱中ぶりは勿論、彼に対する香鈴の世話焼きぶりを知っているからこその言葉であったが、そこに、後見人でもある櫂州牧もいるのだから、その点では、まず安心できるとは思う。 「・・・ふむ、では、今度茶州へ足を向けてみるか、」 凭れ掛かってくる珀明の肩口に顎を乗せながら、龍蓮は二人の会話に言葉を挿む。中央で官吏として働いている二人には、とても口にできる言葉ではなかったが、そのような束縛のない龍蓮は、至極簡単にそう云った。 珀明は、その事実をけして羨ましいものだとは思わなかったけれども、時折、国試を受けて且つ、上位で及第しながらも、自分たちと同じように官吏の道を選ばなかった龍蓮の立場を考えさせられる、それはほんの間々あることで、自分には全く関係のない事項ではあるのだが。 「あら、それなら、影月くんたちへの文を頼もうかしら」 「心の友の頼みならば、お安い御用だ」 しかし、対して秀麗は、龍蓮の発言に便乗するような言葉を返す。珀明は、秀麗を見て、笑む。自分の思考回路を悲観するわけではないが、明るい思考に溢れた秀麗のことは好ましいと思う。 「珀も影月くんに文を書いたらどう、」 秀麗は、珀明にも提案しつつ、淹れ終わり、湯気の立つ茶器を珀明たちに勧める。 「・・・まあ、書いてやらないこともないな」 「・・・・・・素直じゃないわねぇ」 呆れた。と、言葉にはしなかったものの、秀麗の言葉には十分その意味が込められている。珀明は、それをしっかりと聞き取りながらも(そして自覚しながらも)、敢えて秀麗の言葉を切り捨てるように言葉を返す。 「黙れ。茶州に行ったきり、何ヶ月もずっと便りを寄こさなかった何処かの薄情者たちに較べれば断然ましだ」 「う・・・全くもって、耳に痛いお言葉・・・・・・・・・まあ、それは置いといて。龍蓮、お茶が冷めちゃうから、珀明を解放してやってちょうだい。足りないんだったら、また後でやってもいいから、」 「そうか・・・ならば仕方がない」 秀麗の言葉に、あっさりと肯定を示すと、龍蓮は珀明の身体を解放した。そして、卓子に置かれた茶器を持ち上げると、暫くその香りと堪能した後、口をつけた。 「待て、秀麗!話を逸らしたな・・・・・・じゃなくて、何勝手に許可してるんだ!僕はそんなこと認めてないんだからな、聞いてるのか、龍蓮!」 「はいはい、珀ったら、そんなに大声出さないで。お茶冷めちゃうわよ」 「・・・・・・っつ!」 自分を無視して会話を進められた珀明は、漸く地に足をつくことができて満足はしていたけれども、それ以上の問題を投げつけられて、憤慨を隠すこともできなかった。龍蓮を睨んでも、用意された茶菓子を黙々と頬張っている最中であったし、秀麗には冷静に話を流されて終わった。 「・・・・・・全く」 どうしようもない組み合わせだと、珀明は嘆息しながら思う、そこに自分も組み込まれているということが、少し気に障るのだが。仕方無しに、椅子に腰を下ろし、お茶を啜ると、それでもいくらかは落ち着いた気分にはなったが、それでも胸のあたりで未だ燻る何かがあるのも事実ではあったし、珀明にはそれを見逃す気はさらさらない。ただ、天衣無縫で奇想天外な龍蓮や、甘っちょろいくせに無茶ばかりする秀麗に二人して掛って来られて、始めから敵う気などしないだけのことだった。 今は、お茶が美味い、それでいいと思う、と思うことにした。 「・・・そういえば、珀、夕食食べていくでしょう、」 「いや、そこまでは・・・家人に云っていないことだし」 そもそも、この家に来ること自体が、珀明にとっては計算違いであったのだ。本来ならば、既に邸にいるはずだったものを、それを狂わせたのは偏に、藍龍蓮という男の存在であった。 「何を云う、心の友其の三。食事は皆で食べる方が美味しいのだぞ、折角だ、食していけ」 「はい、あんたが云わない。・・・・・・でも、何も、食材費払えとか云っているわけじゃないんだし・・・一人くらい平気よ」 さり気なくとんでもないこと云わなかったかこいつ、と思わないでもなかったが、珀明は敢えて、その発言を聞き流すことにした。だが、今度この邸に来るとわかっているときには、何か手土産でも持参すべきかどうか考えてしまった。 「珀明、心の友其の一、通称秀麗の作るものは美味いのだ、ここで食べなければ損をしてしまう、後悔しても遅い、後悔先に立たずと云うではないか」 「いや・・・美味しいということはわかっているが、そこまで悔いるか、」 云うことすること、何から何まで極端から極端に走るやつだなと、龍蓮に言葉を返す。 「でも・・・折角今晩は、絳攸様と藍将軍が食材持って夕食を食べに来て下さる日なのよ、」 顎に手を掛け、秀麗は残念そうに零す。 「是非、お呼ばれさせて戴きます!」 しかし、珀明の耳は「絳攸」という言葉に機敏に反応し、先程の言葉を撤回するように、言葉を返す。少し気乗りしなかったことが嘘のように。尊敬すべき上司が来ると云うのならば、珀明に残された道は一つしかない。 「よくやった、秀麗!」 「あんたも大概現金ね・・・」 「・・・で、僕は絳攸様のために何をすればいい!?」 急に意気込んで、やる気を出した珀明は、椅子から立ち上がって、秀麗に問い掛ける。 「何って・・・珀明はお客様なんだから、何もしなくてもいいわよ」 とは云いつつも、何だかんだ云って、お客様である楸瑛も絳攸も毎回夕食の準備を手伝ってくれることを、秀麗は不思議に思いつつも感謝はしているのだが、さすがに、突然引っ張ってこられた珀明に、そこまでさせるほど、人手には困ってはいない。 「いや、しかし・・・・・・・・・っわっ、」 すると、突然後ろから腕を廻され、珀明は後ろに倒れそうになる。だが、倒れないのは直後の支えがあるからだ。驚いた、目の前の秀麗もまた、驚いた表情を示している。だが、珀明はその犯人であるのが龍蓮であることを、十分承知していたので、行動の突飛さには驚いても、その行為自体には然して驚愕はしなかった。わからないことと云えば、いつでもその行動の理由だけだ。 「・・・びっくりした」 ふぅ、とゆっくり息を吐きながら、秀麗が言葉を零す。 「こっちの科白だ・・・・・・振り出しに戻ったな、」 再び戻って来た拘束に、秀麗だけでなく、珀明も溜息を吐く。再び、椅子に座る龍蓮の膝の上に座るように抱えられて、降参を示せば、いくらか満足げな雰囲気が龍蓮から伝わってくるのがわかって、珀明はやりきれない思いに駆られる。 「・・・心の友其の三、珀明は、愚兄其の四の心の友のことを、少し好き過ぎるのではないか、」 「黙れ。とりあえず、好きとかそう云うものじゃなくて、尊敬しているんだ、何が悪い」 「・・・・・・心の友其の一もどうだ、今なら片膝が空いている」 おい無視か!と、不平を漏らす珀明の言葉を、敢えて聞かない振りをして、龍蓮は、空いた片膝をぽんぽんと叩いて、秀麗に示す。 「結構です。私は夕飯の準備とかがあるから、お客様二人は、ここで待ってて下さい」 「ちょ・・・、秀麗!さっきから僕のことを見捨てて・・・助けていけ!」 逃げようと腕を振ったり、龍蓮の上体を押し返したりと、何度か脱出を試みるが、どれも成功しない。珀明は、振り返って室から出ていこうとする秀麗を呼び止めた。 「絳攸様のために何かできることはないか・・・って、云ったわよね、珀」 「・・・あ、ああ」 「なら、龍蓮と一緒にいて、龍蓮をこの室に留めて、何かさせないことが、珀のできる・・・というか、この場では珀明にしかできないことよ。皆の、絳攸様の楽しい食事のために、がんばって」 じゃあねと、手を振りながら早々にこの場を離れてしまった秀麗の、そのいた場所を、茫然と見つめつつ、珀明は見捨てられた上に、大変なものを押し付けられた事実を感じていた。要は、体のいい厄介者払いの生贄になったということだ。 「・・・さて、何をしようか、珀明」 暢気に言葉を掛けてきた龍蓮が、酷く憎らしく思えて、珀明は諦観と共に、早く絳攸に会いたいと、そう感じずにはいられなかった。 了 |
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