そのままとられたら

困ってしまう

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夕食を摂るために、同じ組である数馬と共に食堂へ向かえば、そこには先客である隣の組の友人三人が既に席に着いていた。周りよりも幾分か騒がしく食事をしているところを見て、そう云えば、左門とは一日、三之助とは二日振りに顏を合わせるなと、藤内は思い至る。その原因が、自分ではなく彼らの方向音痴と云う性質にあるのは、周知の事実である。
「―――数馬!藤内!」
注文した膳を手にして席を探そうとし掛けていた二人を呼ぶ声に、藤内と数馬は振り返る。
左門の声だ。
三人が同様に同じ卓子の空いた席を勧めてくるので、藤内と数馬はお互いの顏を見合って、それならお言葉に甘えようと笑みを浮かべると、それぞれ空いた席に腰を下ろした。藤内は左門の隣に座る三之助に並ぶように、数馬は向かい側の作兵衛の隣に。
よく見てみれば、先に夕食を摂っていたろ組の三人の食事はそれなりに進んでいる。とりわけ三之助は、何故か、食事を摂るのが早いため、もうすぐ食べ終わるというところに差し掛かっていた。以前聞いた話によれば、委員会であまりにも食事をする時間がないせいで(最悪、そんな時間すら与えてもらえないそうだ)慣れてしまった、と云っていたことを藤内は思い出した。

「・・・・・・三之助、」
「ん〜、」
箸を銜えながら問い掛けに答えるのは止めろと、そう叱ろうかと思ったが、話が先に進まないと判断して、その点に関しては口を閉ざす。
「何故、ここににんたまの友があるんだ、」
珍しい。自分と三之助の座る間に立て掛けるようにして鎮座している、おそらく三之助のものであろうと思われるにんたまの友に目線を遣りながら、藤内はそう続けた。
そもそも、三之助は平生、このようににんたまの友を持ち歩くことなど殆どないと、藤内は把握している。少なくとも、食堂まで持ってくることなど、今まで(自分の知る範囲のみではあるが)一度もなかった。日常のおよそ半分は迷子として生活しているような男ではあるが、それにしても、珍しい。
「ん〜、ひのーは、ほれまふいひにひここにひなはっはらろー」
「箸は外せ」
すぽっと、三之助の銜えていた箸を引き抜くと、訳が分からないと、藤内は再度返答を求める。とりあえず、取り上げた箸は、三之助の膳の前へと戻しておいた。
「・・・えー、だから、昨日丸一日ここにいなかったせいで、坐学受けてないんだよ、だから、とりあえず勉強しようかと思って、」
「三之助は、一昨日から今朝までずっと迷子だったからな、」
今度はしっかりと答えた三之助に、その隣に坐る左門が、笑いながら声を掛けてくる。左門より幾分か体格の良い三之助の陰に隠れて、その姿はあまり見えないが、藤内は三之助越しに、左門の方へと視線を投げる。
「お前は一昨日迷子だった」
すると、むすっとした口調で、作兵衛が左門へと口を出してきた。確かに、迷子になった二人の捜索に当たるのは、同じ組である作兵衛がその殆どを担っているのだから無理もないと、藤内は、心中で作兵衛の苦労を察する。
「しかし、なんでまた食事時まで、」
ただ夕食を済ませるためだけならば、にんたまの友を持ち運ぶ必要性はないのではないか。藤内は、そう云った意味を込めて再び問い返す。
「んー、わかんないところは教えて貰うためじゃね、」
「誰に、」
「・・・さぁ」
なんだよ、いい加減だな。そう続けて、藤内が少しだけ怪訝な目を向ければ、三之助は、大して気にした素振りを見せるわけでもなく、いよいよ最後の一口を口に放り込んだ。それを、しっかりと咀嚼して、嚥下するまでを、藤内は何故か見届けてしまった。
三之助。藤内が名前を呼ぼうと口を開きかけたところで、三之助から言葉を掛けられる。
「早く食べないと、冷める」
「・・・わかってるよ」
三之助の言葉に、藤内は口にしようとしていたことを飲み込んで、箸を動かし始める。会話の間、食べていなかったわけでもなかったが、それでも同時に食べ始めたはずの数馬との進み具合を比べれば、自分の方が遅い。それに、冷たくなってしまっては、いつも作ってくれる食堂のおばちゃんに申し訳がないというものだ。そのせいか、再び声を掛ける好機を失ってしまう。
(それなら・・・、)
やっぱり、おばちゃんの味噌汁は美味しいな。と思いながら、先程口にしようとしていた言葉を飲み込む。
味噌汁を啜りながら、隣の三之助に目を遣れば、目の前に坐る作兵衛と何やら会話をしている。よく見れば、作兵衛もそろそろ食事が終わるところだ。左門が既に食事を終えていることは、なんとなく想像できる。
「・・・私は、先に長屋に戻っている!」
そう云うなり、颯爽と立ち上がった左門は、膳を持ち上げてくるりと反転しようとする。同じ席に座っていた誰もが、いやそれは無理だろうと思う中、それを阻むように三之助が左門の襟首を捕える。ぐえと、小さな声が聞こえるが、三之助はどうでもよいと云わんばかりに、左門を再び席に着かせる。
小さく不平を洩らす左門に、三之助に、迷子になるから駄目だと諭すように言葉を掛けるが、云う人物が人物なだけに、説得力は、当然、ない。
それでも、作兵衛はよくやったと安堵の表情を見せている。確かに、それには同感だと、藤内も内心思うが、敢えて言葉には出さない。
「左門、ご馳走さま、が先だろう、」
「そうか、忘れていた!」
数馬がさり気無く言葉を掛ければ、左門は納得のいった顏をして、両手を合わせる。ご馳走さまでした、と元気な声が聞こえてくる。そして、次の瞬間に、左門は再び椅子から立ち上がる。動作と動作の切り替えが短いのは相変わらずであるが、今度はそれを察したかのように、作兵衛が左門に従う。その顏に何処か諦めの入った色が見えるのは、恐らく気のせいではないのだろう。
「三之助、お前は来るなよ!そこにいろ!」
そう告げると、三之助がおー、と気だるげな返事をする前に作兵衛は左門の後を追って行ってしまった。

「・・・あー、おばちゃん、お茶おかわり、」
食事も終えてしまい、作兵衛からはここにいろと指示されたため、手持無沙汰の三之助は、どうしようかと僅かに逡巡した後、徐に立ち上がって、片手に湯飲みを持ち厨房へと向かう。すぐに返事が返ってきて、おかわりを注いでもらうと、湯気を上げた湯呑を持って、三之助は元の席へと戻ってきた。
熱いお茶を少しずつ飲んでいる三之助を横目で見ながら、藤内は、どうしたものかと考える。
(作兵衛が戻って来るまで、ずっとここで待つつもりだろうか、)
それでなくとも、これから上級生が食堂を使う時間帯になると云うのに、このままここに長居しては、食事の迷惑になってしまいかねない。それを、三之助がわかってないことはないだろうとは思うが、それにしても、三之助の平生の余裕綽綽な雰囲気(というよりも、怠惰というのかもしれない)が、それを全く感じさせないのだ。
(うーん・・・あ、この牛蒡美味しい・・・・・・作兵衛は戻って来るんだろうか、)
「藤内、」
「・・・なに、」
突然名前を呼ばれて返事をすれば、既に食事を終えた数馬が、お膳を持って立ち上がろうとしているところであった。
「ちょっと保健室に行かないといけない用事があるから、僕、先に失礼するね、」
わかった、と手を振りながら了承の言葉を返せば、少し申し訳なさそうな表情を向けながら、数馬は席を立った。恐らく、この場(つまり、三之助のことだ)を藤内一人に任せてしまうことに対しての、その表情なのだろう。
(・・・・・・終わってしまった、)
空になった皿やお椀を見下ろして、藤内は、嘆息する。とりあえず、最後にお茶を飲もうと湯呑に手を伸ばすが、それもすっかり冷めてしまっている。
三之助も相変わらずお茶を飲んで暇をつぶしているようであるが、先程よりもその速度が上がったように思う。仕舞いには、隣に置いてあったにんたまの友に手が伸びている。その動作に、やはり、勉強をする気はあるんだなと、再確認する。
「・・・・・・何、」
藤内の視線に気がついたのか、三之助がこちらを向いて言葉を掛ける。藤内は、どう返したものか、と少しだけ言葉を捜す。どうしてか、自分が考えていたことを、云い当てられてしまったような気まずさを覚えたからだ。
「・・・・・・長屋に戻らないのか、」
「んー、作兵衛が云ってたしな、ここにいろ、って」
そりゃあ、一人で下手に動かれたら迷子になるからに決まっているからだ。とは返さない、自覚のない者に云っても、全く功を奏しないのは目に見えているからだ。そもそも、三之助を、あの状態で自分と数馬のいる場所に留めたのは、つまるところ、半ば押しつけられたようなものだと、藤内は解釈している。しかも、それは、数馬によって更に藤内一人に委任されてしまった。
「他に用事はないんだろう、」
「目下、勉強以外には、」
そう云って、右手で触れていたにんたまの友に、三之助は視線を向ける。
「じゃあ、僕たちの部屋に行こう。それなら、作兵衛もお前の行方がわかるだろうから、」
作兵衛ではないけれど、やはり、三之助を一人にしておくのは、左門を一人にしておくのと同様に不安だ。藤内は、いいのかと確認してくる三之助に首肯して見せる。
そもそも、長屋に戻ったところで、二人ですることなんて限られてしまうだろうが。三之助は勉強をするつもりでいるだろうし、そうなったら、自分は、同様ににんたまの友を開くのだろう。予習や復習は、藤内にとって日常の一部となっているのだから、それは何ら不思議なことではない。
そう思ったら、先程から言いあぐねていた言葉を口にすること自体が莫迦らしいことのように思えた。わざわざ口にする必要など、微塵もないだろうに。ただ、そこに辿り着くまでの過程が変わるだけの話だ。
「・・・要は、お前が一人でいなければいいんだよ、」
ふーんと、気の無い素振りで相槌を打ってきた三之助に、恐らくそこに込めた意味など理解していないのだろうなと、藤内は嘆息する。
それでも、行くぞと立ち上がって促してみれば、三之助は藤内に続くように素直に腰を上げたので、そのまま片手に膳を持って、おばちゃんにご馳走さまでしたと告げて下膳して、食堂から出た。
食堂を出てすぐに、三之助がしっかりと後ろにいることを確認すると、藤内は有無を云う隙も与えずに、その手を握った。
「・・・ん、」
三之助が僅かに反応するのがわかったが、何かを云われる前に前進し始める。そのせいか、後頭部に注がれる視線が気になる。互いの身長差でどうしても視線はやや上方から下ろされるようにして向かってくるところが、また気に食わない。
成長の程度なんて個人差があるのだから、成長期真っ只中である現段階で嘆いたところで今後どうなるかはわからないが、何故か、自分は今後どれだけたっても、この真後ろの男の身長を抜かすことができるとは到底思えないところも、また悔しくもあり羨ましくもある。
「・・・・・・藤内、」
「なんだよ、」
振り返ることはなく、藤内は、ただ言葉だけで反応した。
「お前、可愛いな、」
「・・・・・・っ、なっ!」
何を云われるかと思えば、予想だにしなかった三之助の科白に、驚きのせいで、藤内は反応に詰まった。何か云い返そうと考えても思い浮かばず、藤内は繋いでいた手を振り解く。このまま三之助を置いて、長屋に戻ってしまいたい。けれども、後の面倒を考えれば、それは得策ではないだろうと、理性が訴える。
「・・・藤内、一緒に勉強しようか、」
にこりと口の端を少しだけ上げた(けれども、藤内にはそれがにやりと映った)三之助が、視界に入る。
「・・・っ、お前、」
ああと、藤内は心の中で小さく嘆いた。どうして、それをお前が云ってくれるのか。
藤内は拳を作ると、自分の側頭部を殴った。痛いと思ったが、それ以上に莫迦みたいだと思う、自分が、だ。この、何も考えていないようでいて、意外に思慮深い目の前に居坐る男は、何処まで自分の思考を見抜いているのだろう。
「・・・んー、まあ、行こうか、」
三之助に対してどう反応したらいいのか考えあぐねる藤内の、その離れてしまった手を取り戻すように、三之助は再び握り、先を促す。
(悔しい、悔しいくやしい・・・、)
現実に引き戻されて、藤内は先程の言葉を掻き消すようにして歩を進めた。
(・・・・・・早く、戻ってこい、数馬、)
今頃保健室にいるだろう同室の友の帰りを願いながら、とりあえず、素っ頓狂な方向へ先に行こうとしなかった点のみは評価してやろうと、藤内は思った。





おしまい

無駄に長い、次+浦+α。こんな日常もいいと思います。次浦のような+のような。この段階ではまだデキ上がってません。ただ、微妙に次←浦のようなそうでないような。こんな感じなやり取りが積み重なって、次→浦になっていくと思います。次屋は、基本簡単に動じない男だと思います。あと、口数はそんなに多くない。省エネ三之助を推奨します。つまり、切り替わったらすごいんですということです。
藤内の一人称は、今のところ「僕」にしておきます。よくわからないので。