目が合わせられないのは |
世にも奇妙な恰好(斬新と言ってしまえば救われるのだろうか)をした男を、よりにもよって自邸の庭で見つけてしまった珀明は、数日前に別れたその人物に向かって、既に怒鳴る気力もなくなっていたのか、頭を抱えて蹲った。 国試が終了し、漸く宿舎(という名の獄舎だったことは、人生の汚点として頭の中からすっかり綺麗に捨て去ることにしていた)から解放されると、怒鳴ってばかりだった日々が終わりを告げるのだと意気揚揚に、汚点の原因であるかの人物を、自分を除いたもう2人の被害者へ、軒を用意してあるからと適当に言い繕って押し付けた。そのため、もう、あいつに会うことは(国試の及第発表まで)当分ないだろうと高を括っていた珀明にとって、この急な来訪は、まさに晴天の霹靂に近いものだった。 当の本人は、そんな珀明の心情をさっぱりしっかり理解していないようで、数日ぶりの再会を喜びながら近付いてくる。笛を吹いていないだけましだ、とは思うものの、碧家直系として、今までの人生を、美しいもの整ったもの美感を鍛えるものばかりに囲まれてきた珀明は、この男の装いには目を瞑り、笛の音には耳を塞ぎたくて仕方がなかった。 「どうした、心の友其の三。再会が嬉しすぎて頭を抱えているのか。」 「そんなわけないだろう!というか、なんでここにいる!」 貴陽には藍家の別邸がある。そうでなければ、この歩く天然危険物に甘い秀麗が、小動物もとい影月と共に自分の邸に招いているはずだ。 昊(そら)を見れば、もう夕日が拝める時刻だ。夕食の準備を始めて(と言っても珀明がやるわけではないのだが)、暫くすれば、食事をしてもおかしくはない。けして、訪問するのに適した時間ではないだろう。礼儀を重んじれば普通は理解できる。が、そんなことを言ったところでわかる相手なら苦労はしない。 「先日、心の友其の一の賤屋で夕食を頂戴した折、心の友其の三を誘わなかったこと気付き、おっとこれはいけないと思い、では今度は珀明の邸を訪ねて夕食を共にしようということでここにいる。」 丁寧にも珀明の言葉に返答をした龍蓮に珀明は溜息を吐きたくなった。 誘ってくれなくていい、夕食も共にしてくれなくてもいい。というか、こいつは何処からやってきた、方向からして間違っても門からではないだろう、では塀か、塀を乗り越えてきたのか。 「お前、間違ってもあいつの前で賤屋なんて言うなよ。」 「うむ、失言だったのだろう・・・怒られた。」 「当たり前だろう、というか言ったのか!・・・ああ、もう!で、お前は僕と夕食を食べにやってきたのか?この邸で?」 だったら前もって文でも寄越せば、それなりの準備も―――というか珀明自身の心の準備の方に比重がかかるだろうが―――できただろう。珀明の問いにそうだと頷いて、何故か(と考えるのも既に愚かなのかもしれないが)頭の上に飾られている苹果(りんご)を手にし(重くなかったのだろうか、と珀明は尋ねたかった)、珀明に差し出した。 「なんだ・・・苹果じゃないか、土産か?」 「愚兄其の四が、夕食を他の家で所望する場合、何かしら食材を持っていくのがよいと煩かったのでこれになった。」 まさか、それが秀麗の家だけで通じることであるなどとは知らない珀明は、疑問を持ちながらも受け取った。何故苹果であるのかはわからないが、とりあえず龍蓮が食べたいだけだろうと結論付けて、食後に食べようと珀明は決めた。 それにしても、邸の使用人たちにどう言えばいいのだろうか。まさか、あの『藍龍蓮』が来たとは言えるはずもない。それこそ、異常事態だと言わんばかりに夕食どころではなくなってしまう。 「まあ・・・とりあえずここではなんだから・・・入れ。」 「心の友其の一の風流な邸には及ばないが、珀明の邸もなかなか風流だ。」 この龍蓮の感覚からして、喜べばいいのか悲しめばいいのか迷った珀明は、黙って自分の部屋へ入ってしまうことにした。龍蓮もその後に従う。そして珀明は、一度、龍蓮を部屋に留め置いて、夕食を1人分追加し、準備ができ次第、伝えにくるようにと使用人の1人に報告しに行った。 「いいか、まずは、その風変わりな装飾品、特に頭は外してくれ。」 ただでさえ、碧家の使用人は、他の家の使用人たちに比べ目が肥えている。その中に、この男を入れたらどうなるだろうかなどと考えただけでも恐ろしいと珀明は頭を振る。極力目に入れさせないように努めようとは思うが、それにも限度がある。この男の存在はやたらと目に入り、印象が残る。その笛の音が耳に残って消えないのと同じように。それをできる限り抑えようと出た考えがこれだ。 「承諾しかねる。」 「・・・最低限でいい。そうしたら、いつでも僕はお前を受け入れてやる。正直、ない方が僕は好きだ。」 自分にしては、少し考えが足りない発言だとは思わないでもないが、珀明は懸命だった。できる限り、この男の印象を残さないようにしたい。それがお互いにとって良いことだと、珀明は碧家直系として理解している。おそらく、目の前の藍家直系の男も理解しているだろうと珀明は思う。 「風流に拘るのもわかる・・・いや、わからなくもない・・・駄目か?僕の考えは、お前を傷つけるか?」 自分の言葉は龍蓮を藍家として扱い、拒んでいるのかもしれない。けれども、この男に自分という弱点を持ち、最悪の場合そのことが露見して、不利になるような真似はさせたくない。勿論、延いては自分自身のためでもあるだろうと、珀明は心の中で自嘲する。 「心の友其の三と夕食を共にし、その後語らい、更に寝台を共有できるならば考えないでもない。」 「・・・・・・・・・僕は、男と床を共にする趣味はない。」 突拍子もない、とはこの男のためにあるのだと、珀明は理解した。突拍子もない発言で、こいつの右に出る奴、いや左に出る奴もいないだろう。 「珀明は賢い・・・それに、優しい。心の友其の一秀麗とは違い、しっかりと自分の立場がわかっている。無論、そう育てられたのだから当然だ。私はそれで本当は構わない・・・・・・珀明が受け入れてくれるだけで―――」 「わかった!寝食共にしていい!・・・・・・だから、外せ。」 龍蓮の言葉を遮り、珀明は妥協を示した。 ずるいと思った。急に真面目なことを言う男が。いつもと違って、嫌だと思った。それが悲しい。自分が莫迦だったと、珀明は罵りたかった。この男の、『藍龍蓮』という存在の孤独に、不用意にも触れてしまった気がして、珀明は罪悪感を感じた。 不意に、泣きたい衝動に駆られるが、全理性を総動員して抑える。憧れの人を思い出し『鉄壁の理性』と心の中で繰り返す。目が合わせられない。 そんな珀明の様子を、龍蓮は何も言わずに眺める。ただ、目の前にある存在が愛しいと感じた。自分が友と呼ぶ彼らを、大切だと感じた。そう口にはしないが。 そして、徐に珀明の肩に触れると、そのまま自分の方へ引き寄せ、力強く抱き締めた。 「・・・りゅっ・・・・・・おい、痛い!」 驚いた珀明は、龍蓮の力加減の欠片もない行為に目を瞑りながら訴えた。すると龍蓮の拘束が緩くなる。一寸ほど体に回された手が離れたと思うと、今度は、壊れ物を扱うかのようにゆるゆると珀明を包み込んできた。ちょうどいいと思うくらいの力加減になると、珀明は黙ってその胸に凭れ掛かった。 「・・・・・・・・・承知した。」 「ん?」 何のことだと龍蓮の腕の中で首を傾げる。 「先程の・・・・・・珀明が取ってくれるのならば。」 「・・・わかった。ほら、ちょっと離れろ。」 龍蓮は腕の力を緩めるが、依然腰に回された両腕は離れずに、お互いの作る少しの隙間ができただけだったが、珀明はそれについて言及せずに、頭に飾ってある残りの羽根などを取り、笛を預かり(手にした瞬間、あまりにもの重さに体が地に沈むかと珀明は思った)、さして機能的ではないと判断した衣装を取り除いていく。その間、龍蓮は一言も発することはなかったが、不満に感じているわけでもないのがわかったので、珀明も手を止めなかった。一体、これらを売ったら幾らぐらいするのだろう、とは敢えて考えないでおくことにした。 最後に、括ってあった龍蓮の髪を解いた。藍色を仄かに感じさせる漆黒のそれは、結ってあったところ以外癖の1つもなく流れている。珀明は、自分にはないその手触りに少し見惚れた。 「珀明?」 「いいから、ちょっと待ってろ。」 体を離し、抽斗(ひきだし)から櫛を取り出してくると、龍蓮を近くにあった椅子に座らせた。その後ろに廻って、癖の付いた部分を梳いていく。まさか、龍蓮相手にこんなことをするなんて、初めて会ったときは考えもしなかっただろうと珀明は笑みを浮かべる。けれども、この素材を見て、癖なんてつけておくのは勿体無いと、自然と体が動いた。 梳かし終わると、龍蓮は立ち上がり、今度は珀明の金色の髪を結えている髪紐に手を伸ばし、解く。龍蓮の髪よりも幾分短いが、明るい髪が広がると、光のようだと龍蓮は思った。 「・・・その方がいい。」 「僕にも取れといいたいのか?構わないが、じゃあ、お前が取るんだぞ。」 そう言って、珀明が龍蓮の手から髪紐を受け取ったとき、扉を叩く音がして、夕食の準備ができたことを知る。扉を軽く開け、使用人にすぐ行くと告げた珀明は、龍蓮から剥ぎ取ったものを全て一纏めにして、箪笥の上に置いた。 「・・・で、やっぱり、僕と眠るつもりなのか?」 夕食も終わり、その後、珀明が淹れた茶を飲みながら語らっていた(共通点がないわけでもなかったが、そもそも観点が大きくずれているので、上手く噛み合わないことの方が多かった)。 とりあえず、龍蓮の味覚が人並み(というよりも、人並み以上のものばかり食べているのだから、言うまでもなかった)なのは、宿舎のときに理解していたので、そこだけは心配する必要がなかったのがせめてもの救いであった。 そろそろ就寝時間に近付いてきたので、珀明はもう一度確認するように尋ねた。当然というように、龍蓮はしっかりと肯いたので、珀明は肚を括った。寝台は1人で眠るには広すぎる、問題はない。元より、一度言質を取られたのだから抗うつもりはなかった。 曲がりなりにも彩七家であるので、客室くらい用意できると言えば、友と一緒に寝るのは人生初だ、と言う言葉で、それ以上言うことは躊躇われたせいもあった。 「そう言えば、今更だが、ここに来ることを藍将軍には言ってきたのか?」 「ああ、置手紙を認(したた)めた。」 ということは無許可であるのだろうなと、言葉から判断した珀明だが、無断よりはいいだろうと目を瞑っておくことにした。 だが、その手紙の内容が『珀明 邸 夕食』という簡潔文で、藍家当主の座についている三つ子の兄たちのように楸瑛の頭を悩ませていることを、珀明は知る由もなかった。 「ならいいが・・・あまり、心配をさせるのはよくないぞ。」 「珀明の言う心配という意味でなら気にする必要はない。藍家にとって問題になるか否か、その心配ならしているだろう、そういうものだ。」 そう言うと、器に残っていた茶を飲み干す。 あまりに淡白に言ってのける龍蓮に、珀明は返す言葉が見つからなかった。そのことは、碧家の名を持つ自分にも身にしみていることでもあったからだ。だが、目の前の男の背負っているものは、自分とは比較にならないほど重いものだと、その口調からも感じられる、思い知らされる。 嘘ではない、嘘ではないから嫌なのだ。本当に、この男は嘘を吐かない。気を遣うという言葉すら知らないのだろう、きっと。嘘を吐くことは珀明とて好きではない、けれども、方便として必要なときは使う。龍蓮にはそれがない。 「・・・・・・・・・そういうときは、気にするな、だけにしてくれ。」 「何故だ?」 本当のことだ。そう龍蓮に言わせたくなくて、間髪入れずに珀明は答えた。 少なくとも、自分と龍蓮の間にある大きな溝を認識することを避けることはできる。 「僕が嬉しいからだ。」 「そうか。では、気にするな。私は、珀明が思っている以上には強い。」 珀明は首を縦に振る。 それこそ、珀明が気に揉む必要もないのだが、と龍蓮は優しい友の言葉を反芻する。 他の友2人に比べ、迷惑そうな顔を隠すこともせず怒鳴ることを諦めるわけでもない真っ直ぐな友は、自分との間に広がる溝を知り、それでも変わらず接してくれる。それが、どれだけ危険を孕んでいるのかわかっているのだろう、そう思うと、持つべきではない欲が生じる。危ないとわかっていても、止めることはできなかった。 椅子から立ち上がると、龍蓮は無言で卓子の反対側に座る珀明へと歩み寄った。そして、その腕を掴み、立ち上がらせると同時に度腕の中へしまい込む。今度は覚えたばかりの力加減で。 あまりにも素早い行動に、珀明は抵抗する暇(いとま)もなかった。力で敵うはずがないことは明白であったため、無駄なことはやめた。嫌ではないのだから仕方がない。そもそも、龍蓮が抱きつき魔であるのは、他の2人で証明済みだったので、いつ自分がその対象になるのかと冷や冷やしていたところだ。 「・・・・・・言っておくが、僕は腕にはとんと覚えはないからな。」 「そうだな、珀明は弱い・・・・・・だが、強い。」 自分を受け入れることができるのだ、相当強靭な精神力と寛大な心の持ち主なはずだと龍蓮は心の中で呟く。そもそも、急に男に抱きつかれて(友だとしても)、それを甘受できるのだから、寛大というよりは甘い。秀麗と影月もまた、それに当て嵌まる。 「それは褒めているのか?」 「褒めている。」 「じゃあ、それ以上に弱いあいつらに抱きつくときは力加減を気を付けろ、僕以上に気を遣え。失敗はしてもいいが、繰り返すなよ。」 「承知した。」 だから強いのだと、龍蓮は繰り返し言いたくなる。自分以上に、友のことを考えることができる彼らを。さり気なく、自分の心に温かいものを与えてくれる。 龍蓮の返事に、ならいいと小さく呟き、珀明は龍蓮の体へと寄り掛かる。 傍から見れば、男同士で抱き付いている様子は、異様に見えるだろうが、そんな常識の通用しない龍蓮のことだから仕方がないと思えてしまうあたり、既に自分も毒されていると珀明は笑う。そして、静静と龍蓮の背中に腕を回した。体が密着しているので、その瞬間、龍蓮の体が小さく震えたことに、珀明は気付いた。 「・・・なんだ、僕は何か悪いことでもしたのか?」 見上げれば、少し意外だというよう(に見えなくもない)な龍蓮の表情が窺えた。そう頻繁に喜怒哀楽を表すわけでもない龍蓮の意外な表情を見て、珀明は笑顔を見せた。驚き、というのはなかなかお眼にかかれない。すると、その表情はすぐに笑みへと変わった。 「・・・珀、笑った。」 「僕だって笑うくらいはする!お前が素っ頓狂なことをしなければな!」 全くだ、と自分で言った言葉に賛同してしまう。 「ほら、もう寝るぞ。」 珀明の言葉に龍蓮は頷き、珀明の体を解放する。壁際に置かれている、2人で寝るには十分な広さの寝台へと向かうと、珀明は龍蓮に尋ねた。 「龍蓮、寝相は良い方か?」 「ふっ、野宿で慣れている故、どんな状況でも場所でもお茶の子さいさい。」 また、何処からともなく飛び出してくる、意味のわからない自信に、珀明は冷静に突っ込む。 「ここは普通の邸でこれはただの寝台だ。まあ、それなら奥に言ってくれ。」 「では、失礼する。」 招かれるがままに寝台に乗ると、その後、珀明も同様に入ってくる。 珀明に言ったように、友と共に眠るのは龍蓮の人生において初の試みだ。そもそも、会試で初めて手にすることのできた友人なのだ。その上、一応女性である秀麗とはちょっと考えてみれば不可能だし、影月にしてみれば、その秀麗の邸に居候中なのでやや難しい。どうやら、眠りに就くには、少し時間が掛かるかもしれない、と龍蓮は思った。 「・・・・・・おやすみ、龍蓮。」 珀明が龍蓮とは反対の方を向いて横になる。 眠る前におやすみなどと、物心がついてから言われた覚えはあっただろうか。 龍蓮は思い出す。いや、もしかしたら、愚兄たちから言われたことがあるのかもしれないが、そんなことどうでもいい上にとんと記憶にない、いや寧ろ、過去の遺物として丸めて捨て去ってしまったのだろう。 腕が動いた。無意識だ。今日はやけに頭より先に体が動く。気付けば、左手で珀明の左手を掴んでいた。 「なんだ、いきなり。」 珀明がこちらを向いた。このままでは駄目だろうかと思う。言葉はない。 「よくわからないが・・・・・・・・・今日だけだ、好きにしろ。」 そう言うと、珀明は、仰臥の格好で眠りに就こうとした。 おやすみ、まるで初めて紡ぐように、龍蓮は言葉を零す。 それは、静寂の闇の中に染み込んで、消えた。 了 見ての通り、国試終了から数日後の(捏造)話。 ここでは、2人の間に交わされた(のかな?)お約束みたいなものを。素っ頓狂な衣装をやめれば、いつでも受け入れてくれるそうです、珀明。『なにを』受け入れるかはさておき(笑)、ここはあくまで、友人として寝食共にすることを受け入れてもらいました。 以前書いた「何だかんだ言って」で、珀明くんがおもむろに龍蓮の頭から羽根を抜き取っていたというネタに繋がります。羽根を取る=受け入れもいいぞ。というのを、無言で示唆しちゃっているのかもしれません。いや、そうに違いありません。 龍蓮の不思議発言を考えるのが大変・・・。 |