真っ黒いわたしの幸福





引き攣った顏を隠すこともせずに珀明が後退する。龍蓮はその際の聞こえるはずのない盛大な音を、確かにその耳で聞いたような気さえした。流石に珀明のこのような反応は初めてではない、それ故、慣れた。もとより、人から距離を置かれるのは日常茶飯事であるのが大きいだろう。それでも、心の友である珀明にそれをされて、僅かでも傷付かないと云えば、それは恐らく自分の厭う嘘をつくということになるだろう、と龍蓮は思った。それでも、龍蓮と数尺の距離を保とうとする珀明の頬が紅潮しているという事実が、龍蓮を次の行動へと無心にも掻き立てる。
「・・・・・・心が、狭い」
「・・・・・・っ、莫迦!拗ねた顏でこっちを見るんじゃない!誰だも、いきなり、触ってくれ、とか乞われたら逃げ出したくなるっ。そもそも、年頃の女に対してこういうことをするものでは・・・・・・っ」
拗ねた子供のような表情を浮かべて、龍蓮は、少しずつ珀明に近付いていく。やはり、珀明は近寄った分の距離だけ離れるのだが、それも長くは続かなかった。何と云っても、ここは珀明の室(へや)で、密室で、どんなに頑張ったところでいつかは壁に辿り着く。
「触ってくれ、」
拳2個分程度の距離が2人の間に生まれた。龍蓮は、珀明の顏に自分の顏を近付けるように囁くが、けして触れはしなかった。愛しい友に今すぐ触れたいのはやまやまであるが、自分の本懐はそれとは異なるところにある。
龍蓮は、強請るように珀明の名を呟く。
「厭、か?」
龍蓮が僅かな逃げ道を与えたように感じた珀明は、逸らしていた視線を龍蓮へと移すが、予想に反して、その顏に幾許もの妥協というものを感じることは口惜しいことにできず、また、変わらぬ互いの間隙も、それを物語る。卑怯だ、珀明は心の中でそうひとりごつ。そして、そんな拗ねた表情を向けてきても、母性本能なんて擽られないのだと、心中で繰り返し唱える。
珀明が答え倦ねていると、龍蓮が再び訊ねる。
観念した珀明は、というか何処を触ればいいのだと、云い訳のように内心呟きながら、龍蓮という人物を形作るもので、とりわけ気に入りである蔵黒藍色の長い髪を、一総だけ軽く掴む。さらさらとした感触が、とても心地好い。そうして、そこから下ろし髪に五指を入れ、梳くようにして撫でる行為を繰り返す。女である自分にないこの髪質を羨ましいと、何度思っただろう。
「どうせ、秀麗にも同じようなことしてもらっているんだろう、」
珀明は、目線が高い位置にある龍蓮を睨んだ。
「・・・ふむ、まあ・・・否定はしないな。が、秀麗本人はともかく、秀麗の周囲は幾分守りが堅い」
父親と家人は勿論、紅家、果ては王に至るまで。勿論、常人に較べれば、龍蓮にとってそのような守りは、鉄壁とは云い難いものではある。藍龍蓮という存在であるということはもとより、要は、秀麗本人に容認されてしまえば、周囲も簡単には手を出せないのだから。
「悪かったな、秀麗と違って守りが疎かで」
「私としては寧ろその方が都合が・・・・・・いや、なんでもない、」
ぽろりと本音が口から零れそうになった龍蓮の魂胆を察した珀明は、より目を吊り上げる。それに気付いた龍蓮は(最早遅いのだが)僅かに空白を置いて軌道修正を図った。
先程までは、優しく髪に触れてくれていた細い指が、いつの間にか離れていて、龍蓮はそれを再び取り戻したくて仕方がなかった。だから、垂れ下った珀明の手を、片手で軽く包み込むようにして引き、小さな身体を淡く抱き寄せた。拒むことが可能な力で。その意図が伝わっていたのか、珀明の口唇から溜息が零れるのが聞こえ、それでいて拒否の言動が返ってこないことに、いっそ泣き出したくなる衝動を、龍蓮は覚えた。
珀、と、言葉を覚えたての幼児のように繰り返す龍蓮の背を、珀明は軽く撫でた。抱き締める龍蓮の下顎が、珀明の頭頂部へと触れてきたせいで、龍蓮の下ろし髪が珀明の視界いっぱいに広がった。黒が溢れる。けれども、そこには、陰鬱とした印象は感じられない。龍蓮の瞳の色に似たそれは、吸いこまれそうな色だ。
好きだと囁くように云われれば、確かに多少の照れ臭さを覚えるのだが、最早慣れてしまったその言葉に余裕も生まれる。それが果たして、良い結果となるか悪い結果となるかは、珀明にも判断できないのだが、危うさを孕んでいることは間違いない。
年上の男が、とても小さな子供のようだ。そうして、慰めるかのような手つきをしている自分に気付いて、珀明は再び嘆息する。今更だとは感じる、龍蓮に、秀麗に巻き込まれてしまった自分は、最早手遅れの状況にあるのだということも分かっている。
「・・・龍蓮、年頃の嫁入り前の娘に、こんなことをするものじゃない」
本当に全くもって今更で、自分で云うのも憚られるが。
「心の友同士なのだから、友情の抱擁くらいするだろう、」
龍蓮は、聞いている側が恥ずかしくなるようなことを平気で云うのが厄介だなと思う。反論する気が殺がれてしまうのを、珀明はなんとか持ち堪える。
「お前のは度が過ぎている」
「・・・・・・・・・そうだ、私が2人ごと嫁に貰えばいいのだ、それで問題は解決する」
莫迦と天才は紙一重を地でゆく男に、諦観を覚えて、珀明は手掌で額を覆う。
「莫迦だな・・・」
呆れて呟けば、龍蓮が心外だと云うような表情を浮かべる。本気なのは龍蓮の性格から十分わかっているが(冗談じゃないと思う)、どうにも解し難い。
「秀麗ごと幸せにする」
否定の言葉を吐く珀明を、龍蓮は誤魔化すかのように一層抱き締める。
同時に、黒が視界を覆った、これは多分、恐らく、いとしい色だ。





終畢

この2人は毎回こんなやりとりばっかりして、進展ゼロだといい。本当に何も進まない関係でいい。最後、本当に結ばれちゃうときは、龍蓮が珀明を結ばれる以外の選択肢を全部奪い去ってしまって、仕方無くゴールイン!だと嬉しいな(ぉぃ)よほど私はこの2人を苦労させたいらしい(特に珀明)。
ちなみに、女珀明の一人称は「私」。僕っ娘はあまり萌えません(そこ?)
えーそして、私は影月くんのことを忘れているわけじゃなくて、影月くんは香鈴にとられちゃった(笑)ので、あちらはあちらで幸せになってほしいと思っているだけです。でも、あわよくば影月も嫁に加えて(影月の嫁は香鈴)、心の友'sで幸せに暮らしたいと思っている。














「で、・・・私と秀麗、どちらが好きだ、」
「どちらも、同じだけ、」
そんなこと今まで何度も云ってきたはずだと、龍蓮は正直に告げる。しかし、こうしてはっきりと珀明の口から訊ねられることなどなかったので、僅かの驚愕を感じた。つまりは、龍蓮が珀明のことを好きだということを前提とした問いである。自分の愛が伝わっているのだと、感動した。
「・・・・・・よし、秀麗の家に行こう」
龍蓮の顔を見上げて、笑顔を向けてくる珀明は、その髪と同じくらいに眩しいものであった。
「・・・・・・・・・珀、よもや私を秀麗に押し付けて逃げようとしているのではないか、」
「・・・・・・・・・」
だが、そんな珀明の眩しい笑顔も、その裏にある意図を暴かれて崩れた。
「酷いぞ」
「うるさい」
「愛しているのに」
「・・・ば〜か、」