そこがり

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礼部へと書類を届け終わる(件の事件で礼部尚書が替わってからと云うもの、仕事が円滑に進んでいる)と、玉は次の目的地である戸部へと向かうために、石造りの瀟洒な廻廊を進んでいた、それもできるだけゆっくり。折角やる気を出した己の上司が、自分や部下に隠れてこつこつと今頃執務室で仕事に励んでいる(それを周囲に見せれば、株が上がるだろうに)というのだから、早く戻って邪魔をしては悪い。退出の定時刻までの残り時間、きっちり働いて貰いたいものだと、玉は、流れるような動作を意識しながら歩を進めていく。分家とは云え、一応碧家に連なる身として育ってきた玉としては、何時どのような時に人に観られても良いような教育を施されるのだから、それも最早慣れ親しんで、染み込んでしまった習慣と云っても過言ではない。

「……珀明様、」

すると、丁度、ぱたぱたと音を立てながら手に書簡を携えて走っている見知った人物が視界に入り、玉は声を掛けた。自らが仕える碧家の直系男子である碧珀明だ。その声に気付くと、珀明はぴたと立ち止まり、声の主――つまり、玉――の方へと視線を向け、その姿を確認すると歩み寄って来たので、玉もそれに倣う。

「こんにちは、玉……いや、欧陽侍郎」
「ああ、すみません、私としたことが。碧官吏、お元気そうで何よりです」

うっかり溢してしまった失言を訂正するように、玉は言い換えた。
珀明の頬が少々痩けているのは、吏部官ならば仕方が無いのだが、それでも、走るだけの体力があれば大丈夫だろう。しかし、だからと云って、まだ愛らしさの殘る少年の顏にそのような要素が含まれているのは(それが珀明だから尚更)、玉は頂けなかった。勿論、官吏としての道を歩み出した大切な存在に、そのような文句を零すはずはないが。

「……おや、珍しいですね。碧官吏が青い髪紐をお使いになられるなんて、」

ふと、珀明の結わえてある髪へと視線が行き、いつもと違う箇所を指摘する。普段ならば、その家の名に相応しい碧色を基調色とした紐が使われているにも拘らず、今日のそれは何故か青い。しゃなりと腕に嵌めた腕環を鳴らせつつ、珀明の髪紐へと手を伸ばし、軽く触れ、そこに緑を混ぜ、深い青緑色にしたら、黄金色の光のような柔らかい珀明の御髪に合うだろうな、と玉は一人考える。

「い、いや…まあ、気分でしょうか。たまには趣向を変えてみようと思いまして、」
「そうですか、それもとてもよく似合いますよ」

何故か、返事の代わりに照れたように頬を赤らめる珀明を可愛らしいなと思いながら、玉は微笑む。彼は幼い頃から可愛かった。どうか、このまま成長しても変わらないで欲しいと思うのは聊か勝手すぎるが、せめて彼という為人の根底にある真っ直ぐな心だけは変わらないで欲しいと思う。

「……そう云えば、先日、純様達から文が届きましたよ、」
「ああ、義兄さん達からならこちらにも届きましたよ。姉さんは相変わらず元気なようで安心しました」

姉のことを話す、珀明の顏に苦笑が浮かぶのが、玉にはわかった。文を綴るのは決まって欧陽純(珀明の義兄)なのだが、姉である碧歌梨のことにおいて、珀明は彼に全幅の信頼を寄せているので(常の少し頼り無さ気な部分もあるが)、その文に偽りがないのだろうと云うことだけは、判断できる。つまり、文で元気なのだと云うからには、とかく際限なく姉は元気なのだろう、という苦笑だ。

「今は碧州にいらっしゃるようで、」
「ええ、例の事件の報告なども兼ねて。万里が頻りにこちらへ遊びに来たがっているとも書いてありましたよ」

例の碧幽谷贋作事件や贋金事件の貴陽での後始末等は、殆ど全て珀明や玉が取り仕切ったけれども、それに関する碧州の碧家へと報告することは、朝廷に仕える身としては2人ともできない(碧家の使者を送ったけれども)。そのため、歌梨達は当事者として報告を兼ねて帰郷し、又、反省を含めて暫くは碧州に滞在するようだ。あの姉が、一時的にでも大人しくしているとは思えないが、それでも、一つの場所に腰と落ち着けてくれるという事実は、少なからず珀明へと余裕を与える。

「いつか、こっそりと御忍びでやってくるかもしれませんね、」
「……勘弁して下さい。あの姉さんですよ、本当に仕出かしそうで恐い…」

ふっと視線を逸らせて言葉を吐いた珀明が、小さくかわいた笑いを見せる。その気持ちが痛いほど理解できた玉は、それに対しての返答を控え、暫しの沈黙を守った。

「前回の件で、少しは懲りてくれていればいいのですが・・・」
「当分は義兄さんも気を張っていてくれるでしょうから、安心していいと思いますよ、」

純の、いざというときの決断力や行動力を識っている玉は、珀明の言葉に、素直にそうですねと肯いた。そもそも、あの碧宝と讃えられる碧歌梨を妻に持てるような剛の者であるのだから、尚のことそう感じるのだ。珀明は、後にも先にも、姉を任せられるのは純しかいないと思っている。

「……ああ、お忙しいところお引き留めして申し訳ありません、碧官吏。ところでどちらまで行かれるのですか、」

ふと、先程、珀明が何処かへと向かって走っていたことを思い出し、玉は、急ぎの用があるのではという意味を含めて尋ねてみる。暗に、手には数本の書簡を携えているのだ。本当に急いでいるならば、真面目な珀明のことだから、既に何か行動を起こしていても可笑しくはないが、もしもということもある。

「いえ、こちらこそ。私は、主上の執務室に居られる絳攸様に、書簡を届けに参るとこです」
「そうですか、私は戸部に行くところなのですが、宜しければ途中までご一緒しましょう、」

玉の誘いに、珀明は笑みで以て応えた。





岐路に立ち、玉は王の執務室がある方向へと向かってゆく珀明の後姿を見つめる。身内自慢は今に始まったことではないが、どんなに碧家の中で無芸と云われているような存在だとしても、其れに代わるだけの鑑定眼と知識、真っ直ぐな心を持ち、碧家のために官吏として奔走する珀明を、玉は本心から好いていた。
それ故、先日届いた、純と歌梨からの文(特に後者からの)で、一つだけそう簡単に受け入れることのできない話があった。
こともあろうに、歌梨からの文には、珀明と秀麗の今後関係を取り持つように、そして、自分へと可愛い義妹ができるように宜しく働いて欲しいと、あの高飛車な彼女の言葉そのまま、認められていたのだ。
そんなこと、天地が引っ繰り返ろうとも、犬が猫のように鳴こうとも、紅家と藍家の関係が良好になろうとも赦せるものではない。何が哀しくて、可愛い珀明に、自ら波乱万丈な人生へと乗り込ませるような真似が出来ようか。珀明に問題などこれっぽっちもありはしないが、相手に問題があり過ぎる。仮に珀明にその気があったとしても、自分は有らん限りの力を駆使して阻止しようとするだろうな、と玉は思いを馳せる。だから、文の内容は見なかったことにして、先程の会話でもそれらしきことは口にしなかった。
玉は、どうか珀明が平穏無事な人生を送ることができるようにと(あの人物を姉に持った時点で、最早儚い夢と化しているのだが)、ただ只管、その背が見えなくなるまで祈った。







外朝の構造なんてわかりません、故に、適当です。そして、書いていて、なんだかよくわからなくなりましたが、とにかく分かってほしいのは、うちの玉さんが珀明のことをとっても好きだということです。秀麗にお婿にやるだなんてとんでもない、疲労困憊の毎日が保証されます(ぉぃ)というか、その手前で黎深様に殺られる…!しかし、あの龍蓮に捕まってしまった時点でも、平穏無事な人生なんて、もう望めないだろうなということは確実に云えるでしょう、ええ。
御目汚しすみませんでした…!
あ、ちなみにこの話は「愛しくってしょうがない」で玉が礼部と戸部へと書簡(書類)を届けに行く途中で、ばったり珀明と遭遇したという話です。こんなところで云うことでもありませんが。