頬は好意 Auf die Wange Wohlgefallen, |
龍蓮という男は、本当に極稀に、それこそ気紛れと云っていいほど、ふらりと珀明の目の前に姿を現す。その度に、何を思ってか、その手で、指で珀明に触れては、その顏に安堵の色を示す。これは、一体、何かの儀式なのかと、そう思わずにはいられなくなるくらいに、龍蓮は、珀明に触れたがる。その接触の程度に、毎回差はあれども、結局、何かしらの触れ合いを求められていることを、珀明は感じていたし、別段、厭がる素振りはしても、それらの行為を、はっきりと拒絶したこともない時点で、龍蓮による接触が已むことはないのだろう、と思う。 頬に触れてきた拇指が、そして、頤から頸部にかけて触れてくる残りの四指が、僅かな体温差によって、珀明に仄かに冷たさを与える。腰に廻された腕は、抱き締めるための行為というよりは、寧ろ、以前顏を合わせたときと較べて、どれほど痩せているかどうかを確認するための行為なのではないか、と思える。結果、珀明が無理をして、いくらかの痩せや、表情に疲れを見出すと、龍蓮は、あまり良い顏はしない。 「・・・珀明、」 龍蓮の動きを、言葉を発することなく受け入れていると、ふと、龍蓮を視線が交わった。そして、目線の動きを封じるように、頬に触れていた龍蓮の手が、珀明の下顎に移動すると、そのまま顔の向きを固定され、逃げられないようにしてから口付けられた。しかし、それも、すぐに離れていく。この接吻すらも、何かを確認するための行為なのだろうかと、珀明は考える。答えは、出ない。 視覚ではなく、触覚でなければ信じるに足らない何かが、龍蓮の中には在るのだろうか。珀明自身、視覚で確認できることが全てだと認識しているわけではないが、それにしても、龍蓮による接触は過度と云えなくない。そう思わせるほどには、龍蓮は、丁寧に、ゆっくりと、時間を要して顎から頸へと、確認するような動きをする手は降りていく。 そのまま、衿元から覗く鎖骨に触れる頃になって、漸く、この男には、しっかりと視覚も、聴覚も、嗅覚でさえ存在しているし、今もこうして穴が開いてしまうのではないかというほど見られているではないか、と思い出して、珀明は赤面するのだった。 沸々と生じ始めてきた羞恥に身体が強張るのが、触れている箇所から龍蓮に伝わったのだろう、腰に廻された片腕の拘束は、逃がさないようにより一層接触を深める。先回りされたことに、軽い憤りと、諦めを、珀明は感じた。頬に、龍蓮の少し温い体温が、再び伝う。 「・・・もう、離してくれ、龍蓮」 半ば、諭すように解放を要求するが、龍蓮から返ってきた言葉は、何故、と云う問いのみで、そこから、龍蓮に解放すると云う意志は、殆ど見出せず、珀明は嘆息した。 「何故、って・・・こうしている理由が、見出せない」 頬に触れていた龍蓮の指を掴んで、そこから離す。 「・・・体調管理には、気を付けている。別段、前回お前が来たときに較べて、不調でもないし、痩せてもいないつもりだが、」 だから、この廻された腕は、不要なのだと、そう暗示させつつ、言葉を発する。 「友の心配をするのは、至極当然のことだ、」 何も、友人の立場から、その友の心配をすると云う龍蓮の言動そのものを否定しているわけではない。それこそ、珀明とて、今までに秀麗や影月に、何度そう云った態度を示してきたかわからないからだ。けれども、そのことと、この龍蓮からの抱擁などの接触は、また別問題であると云うことは、自明だった。少なくとも、常識的な考えの下、判断を行えば。 「・・・だが、珀明を抱き締めたいと、触れたいと思っているのは、それだけではない・・・・・・わかるか、」 珀明に答えを求めるように、龍蓮は、珀明へと顏を近付け、互いの視線を交えさせる。 殆ど、額と額がぶつかるような距離に、珀明は気まずそうに視線を泳がせる。先程とて、接吻と云う行為に及んでいたくせに、そんな動揺を見せる自分を、珀明は内心おかしいとは思いながらも、その至近距離に戸惑う。 一体、何が違うのかと、自問しつつも、恐らく、先刻以上に、廻された腕から伝わる熱情が、高まっているからなのだろうと、小さく結論付けた。 龍蓮の口を、手掌で覆い、龍蓮の顏を退けさせようとしたが、抵抗された挙句、空いた片手によって、その手も外されてしまう。どうやら、答えるまで、この距離を変えようと云う気はないのかもしれない。逆に云えば、口付けられることもないのかもしれないが、それにしても、この状態は、心臓に悪いのだ。 「・・・わからない」 「本当に、」 「本当だ」 だが、龍蓮の真っ直ぐに向けられる視線に耐えられずに、珀明は、視線を逸らす。これでは、己の発言を、己で否定しているようなものであったが、それでも、龍蓮直視するのは、憚られた。 本来なら、自分にこそ、疚しい部分がないと云い張れる立場であるはずなのに、どうしてか、龍蓮相手では、それが通用しない上に、立場が逆転している。 「好きだからだ」 龍蓮の口から、核心が零れ落ちると、そのまま流れるように、互いの顏の距離が、斜めに縮まり、龍蓮の口唇が、珀明の左頬へと落とされた。 「・・・・・・友としての好意にしては、お前のそれは逸脱し過ぎている」 主に、行動面において。 「それは、愛しているからだ」 「・・・・・・お前は・・・、」 本当に、わけがわからない。 珀明は、頬に触れてきた龍蓮の口を、再び手掌で覆い、今度こそ顏を遠ざけた。それでも、腕を廻された身体自体は離れることはなかったのだが、幾許かの精神的な平安は守ることができる。そして、珀明は、龍蓮に見えないように、小さく笑んだ。 しかし、結局のところ、両腕を以て、思い切り抱き締められ、珀明の抵抗は全て無に帰した。 頬への接吻は好意を。 まあ、絶対これ、好意以上だけど(汗)普通に唇にもしてるし。 |