川を漂う魚 と海月 |
掴み所のない男が、珀明の目の前に漂うように存在している、まるで浪に流されているが如く、それは無秩序だ。気紛れのように現われては、束の間留まり、風のように去って往く。故に、彼そのものを捉えることはできない癖に、彼という存在は始終珀明へと付き纏うのだ。始末が悪い。 腕が、伸びてくる。 気のせいだと気付かない振りをして視線を逸らすも、易々と捉えられ、抱擁が与えられる。いらないと嘯いても、この両腕が解かれることはないのだ。仕方がないと受け入れることが、珀明に与えられる選択だ。 この際限のない執着は、何なのだろう、珀明は時折考える。藍家の天才を傍らに留め擱くことが可能な術など、珀明は知らないにも拘らず、この男はそれが至極当然とでも云うように傍に在る、いや、傍らに現われる。勿論、それは断続的なものでしかないのだけれど。 「―――――いつ、」 いつ、ここを離れるのか。そういう含みを籠めて、珀明は小さく訊ねる。 「明日、発つ」 抑揚のない音色が龍蓮の唇から紡がれる。 「今夜はずっと一緒にいてくれ」 だから、と云って、懇願の言葉を漏らす。 言葉にしなくとも、又、否定の言葉が返ってこようとも、この男は結局のこと離れようとはしない癖に。 もう、昊は闇に包まれている。そのせいか、追い出してしまうのも憚られるのだが、やはり、この男との殘り僅かな時間を自ら擲つような真似をすることは、それ以上に憚られるのだ。一向に口が開かない。 元来人に何かを頼むということをしない男が、こうして乞うてくる姿が、酷く苦しさを覚えさせる。 いつの間にかやさしく他人を抱き締められるようになった、力の加減を覚え、大切なものを大切に扱うことを身につけた。この男は変わった、酷く変わった。だから、もう、逃げられない。 「………駄目か、珀、」 龍蓮の手が珀明の片頬に触れて、上を向くようにと擡げる。その所作に、珀明は眉を顰める。けれども、龍蓮の表情を窺った瞬間、それは解かれた。なんて顏をするんだと、珀明は文句を云う気を殺がれた。何もかもを知り尽くしている癖に、天つ才の癖に、まるで子供のように落胆の色を滲ませている。思わず腕が動いた、抱きしめ返したい衝動に駆られたのだ。 「卑怯者っ」 しかし、珀明はその手を止め、龍蓮の胸を手掌で突いて抱擁から逃れようとした。しかし、完全に離れる前に手首を捉えられる。そのまま引っ張られ、再び龍蓮の腕の中に収められる寸でのところで、肘を前に出して止める。それが余計に拒まれたのだと感じたのだろう、龍蓮はそれ以上、力を込めることはなかった。 「……何故だ、全く身に覚えはないのだが、」 解らないなと、龍蓮は珀明に説明を求める。友にそのように思われるなど、不名誉極まりない。汚名は返上しなければならない。そのために珀明と視線を合わせようとするが、力の限りそれを回避しようとするので、思うように叶わない。 「僕に…お前と一緒にいたいと思わせるなっ」 大変な言い掛かりであり、又、最早それを云うことは手遅れであるにも拘らず、珀明はそれを吐露したくて堪らなかった。そうでもしなければ、迫り来る感情に負けてしまいそうだからだ。この男から、もう逃げることは叶わないのだとしても、自分から追うようなことになるわけにはいかなかった。何故ならば、それは酷く冷淡な願いだからだ。そして、龍蓮はそういう人間なのだ。 「……っ、」 手首を掴まれても尚逃れようとする珀明の後頭部を捉え、龍蓮はそのまま懐へと収めるようにして掻き抱いた。痛いと言葉が返ってきても構いはしなかった。寧ろ、返ってきた言葉ごと奪うようにして口付けをする心算であった。 「他でもない、私が、共にいたい、それだけだ」 歓喜を包み隠すことなく、龍蓮は屈むようにして、珀明の蟀谷(こめかみ)に口付けた。まるでその行為が貴いものであるかのように、軽く、また愛おしく、慈しむように。刹那、珀明の身体が震えるのが密着した身体から伝わってきて、更に愛しいものに思える。 珀明が躍起になって、自分との距離を測ろうとしているのかを、龍蓮は知っていた。近すぎず、けれども、龍蓮が望むだけの近さを保とうとしている。振り回されるのを良しとしない、全ては、自身の安寧の為に。それでも、踏み込む隙を与えてくれる(意図的ではないにしても)珀明が、そして他の2人の友が、何よりも大事だ。 「お前の愛人(こいびと)になる人間は、さぞかし酔狂な奴だろうな」 珀明は徐に顏を上げると、苦笑気味に云った。何処か諦めたふうなそれは龍蓮を拒絶するための言葉でもなく、自衛のためのそれでもない。しかしながら、それが切ないのだと云ったら、珀明はどのような反応をするのだろうと、龍蓮は考える。そして、果たして己にそのような存在ができるのだろうかとも。どんなに目の前の友が愛しくとも、愛人紛いな行為を交わそうとも、畢竟、彼はとても大切な友であり、それ以外のなにものでもない。それはきっと掛け替えのないものだ。だから、切ない。取り溢してしまわぬよう、護らなくてはならない。 急に黙した龍蓮を、珀明は訝しそうな眼で見上げる。それに気付いた龍蓮は、微笑を浮かべ(珀明には、これがにたりと映る)、先程と同じ言葉を繰り返そうと、再度口を開いた。 「今夜は、ずっと、一緒にいてくれ、珀」 了 一貫性のない話ですいません。 何が言いたいのかと言えば、本来相容れるはずのない存在である(あっちへこっちへふらふらと彷徨う)龍蓮を、自分は仕方なく受け入れてあげているのであり、けして自分の意志ではないのだと思いたい珀明、ということです。龍蓮の傍にいたいのだと思ったが最後、いないことの方が多い龍蓮を思い焦がれる日々が待つだろう日々が、珀明は厭わしいのです。防衛本能です。だから、悲しそうな目つきで自分の同情を惹こうとする(けして本人が意図的にやっているのではないにしても)龍蓮が、とても狡賢い奴に見えてしまう珀明。 って、それをここで語るな、って話ですよ、つまりは(汗)文中で語れ。 |