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太陽が昊高く大地を照らしている。窗(まど)は窗布で覆われて薄暗いけれども、数寸ばかり明いた隙間からは、陽光の恩恵が降り注ぎ、室内は仄かに明るく映る。光の筋が塵埃に反射して、煌々と煌めいているのがわかった。寝過したか、と慌てて身体を起こそうとするが、直後、今日が休みであったことを思い出して、再び臥牀に沈んだ。

「―――――っ」

が、ふと、身体を反転させた珀明は、自分の傍らに横たわる人物に気付いて、珀明は声にならない悲鳴を上げた。しかし、声を発しそうになって、急いで片手で口を塞ぐ。何故だと、一体どうなっているのだと、珀明は今までの記憶を辿るが、どうして龍蓮が自分の隣に寝ているのか、さっぱり解せなかった。昨夜、確かにこの臥牀の上にいたのは自分1人であったはずなのだ。

「(……いつの間に潜り込んだんだ、)」

つまりは、珀明が寝入った後、盗人宜しく不法侵入し、剰さえ珀明の臥牀へ入ってそのまま眠り、今に至るのだろう。気付かなかった自分も自分だが(きっと、既に御馴染である連日の公務のお陰で、心身ともに疲れていたのだろうと、珀明は言い訳染みながらも考えた)、そんな自分を起こしもせずに暢気に眠る龍蓮が腹立たしい。

無論、こんな時間に秀麗の邸へ訪れるよりは(一応と云わずとも女なのだし)、自分のところへ来る方が、選択としては正しいのだろうと、珀明は思う(本当に一番いいのは、藍家貴陽別邸に行くことではあるが)。龍蓮が日頃から語る、心の友への愛とやらは、万遍無く平等で、また惜しみないものである故に、そんな考えが、果たして本当に龍蓮の頭の中に思い描かれていたと、珀明も本気では考えてはいないのだけれど。
とかく、今日はするべきこともないので、何故か根拠も無く、珍しくまあいいいかと眠たい頭で結論付ける。

「(長い……睫毛、だな、)」

そして、珀明は覚醒を一時先延ばししようと、龍蓮から少し距離をとって、龍蓮とは反対側へと側臥位をとると、再び眠りに就こうと、臥牀へと沈んだ。





頬に擽ったさを覚えた珀明は、次いで、身体の上に何かの重みを感じた。その包み込まれるような重みに、今度こそ珀明は一気に覚醒する。その瞬間、室(へや)を纏っていた眠りを誘う心地好い静謐は破られた。室内は、先程起きたときより更に明るさを増しているのがわかった。

「なっ、」

何が起きているのか、そう口にしようとした珀明だが、厭でも自分の現在置かれている状況を、瞬時に理解してしまったため、これ以上は言葉を発することができなかった。身体を横にして寝ている珀明を後ろから包み込むようにして、龍蓮が眠っていたのだ。下顎が頭頂に圧し付けられていて、不快極まりない。又、珀明の身体の上には龍蓮の腕が乗り、その髪のいくつかの総(ふさ)は、珀明の頬へと絡まっている。二度寝する前に作っておいたはずの間隙は、最早寸分の余裕さえも失われていた。

「………龍蓮」

声が普段よりも低くなるのは、寝起きだからだけというわけでもなく、今にも呶鳴り散らしたいほどの怒りも含まれているからだ。だが、珀明がその腕ごと龍蓮の身体を除けようとしても思うようにゆかないのは、龍蓮が既に意識を持っているということを如実に表していた。

「……早上好」

耳許で言葉を囁かれ、珀明は吹きかかる吐息に小さく肩を竦ませた。けれども、そんな珀明の行動を無碍にするように、龍蓮が珀明の肩口に思い切り顔を埋める。

「…っ、龍蓮…!」

擽ったさに襲われ、珀明は更に首を小さく窄めるが、龍蓮が退くことは叶わない。身体の上に乗せられていた腕は、いつの間にか珀明の腕を掴み(それもさり気無く)、中途半端な抵抗を許さない。厭ならば本気で抵抗しろ、というのは、龍蓮の常からの言葉ではある。けれども、珀明が、本気で龍蓮を拒絶できたことは今まで一度たりともなかった。それを後悔していると云えば、確かに少なからずしているのかもしれないが、今までこの男が自分に対して向ける顏を見ていると、自分が選んだ道は強ち間違ってはいないのかもしれないと、時々無性に感じることがある。それは、珀明に少しの安堵を与えるが、けれども、とても危うい感情であった。

「…っぅ…やめっ、」

寝る前にきちんと纏っていた睡衣の襟を軽く口を使って捲られ、肩甲骨辺りまで伸びるやわらかな黄金色の髪を掻き分けるように、その項に吸いつくように口付けられた。珀明は、びくっと震え、身体を強張らせる。やめろという言葉も、唐突に頸部に触れてきた生温かい感触――つまりは、舌だ――によって、志半ばで途切れた。そして、そのまま珀明の身体を下にするように、圧し掛かって来た。序で、側臥位から仰臥位へと体位を換えられた。そして、漸く視界に収まった龍蓮の顔を、珀明は両方の手掌で遮り、ある程度引き離す。長い、蔵黒藍色の髪が垂れて、顔に当たる。

「…何を……っ!」

朝から一体何を仕出かすのだ、と珀明は見上げるように視線で訴える。だが、龍蓮は当然の如く、そんなこと微塵にも堪えていない。飄飄とした態度で嬉しそうに見下ろしてくる気概は、いっそ憎らしいほど清清しい。

「200年振りだな、」
「……そんなわけあるか!精精2ヶ月だ!」

何を言い出すかと思えば、下らない。珀明は、余りにも下らなさすぎる龍蓮の言葉に、一瞬返事をしようという思考が一時停止し、返事が詰まってしまった。だが、この男ならそれくらいの年月をあっさりと生き延びてしまいそうなのが恐ろしい。だが、そう云えば、龍蓮の夢は昇仙することだったかと頭の隅で思い起こす(その前に、心の友共々4人で、という言葉が入ることは、自己防衛のために忘れ去っていた)。

龍蓮は、然も懐かしいというに(果たして、それは紛れもない事実だが)、珀明の後頭部の下へと手掌を、そして、もう片方の手は背部へと廻し、真上から抱き締める。重いという珀明の抗議などお構いなしに、左頬へと口付けを落とす。その大型犬(中身はこの上なく珍獣だ)にじゃれ付かれているような体勢に、珀明は諦めたように溜息を吐いた。

「200年後も愛している」

いつも唐突に大層なことを宣う口だなと、珀明は最早他人事のように思いを馳せた。見上げる男の顏は、至極嬉しそうで、又真剣であった。珀明とて、友として龍蓮のことを好いてはいたが、向けられる愛情の違いは、やはり否定できないものがある。それでも、

「無理だ、その必要はない」

長い放浪の旅の合間に会いに来る龍蓮の変わらぬ態度が、珀明には嬉しかった。だが、あまりにも龍蓮は時間を空け過ぎるため、珀明が素直にそれを告げたことなど稀でしかない、ないと云っても過言ではないはずだ。

「何故、」

きょとんと小首を傾げる龍蓮(全くもって可愛さの欠片も感じはしない)が、短く問う。

「200年後なんて不確かなものいらないと云っているんだ、それなら、200年分愛せ、」

そう云う自分が短慮だと思わないわけではなかった、だが、珀明は、失うことで苦しみを味わうよりも、得ることで味わう苦しみを選んだ、それだけの話だった。後悔する日はきっと訪れるだろう、だが先に立った後悔など聞いたこともないし経験したこともない、ただ、そうならないだけの力を身に付けようと、珀明は考える。

「200年分、僕ら3人を平等に、」

そう云ってしまった後で、珀明は自分の言葉に照れたのか、紅潮した顏を隠すように龍蓮から視線を逸らし、脱出を試みようとした。最早、脳内では有頂天な状態の龍蓮を目の前にしては、手遅れだということも知らずに。







孔雀の愛は、長く、万遍無く、特定の人物へ平等に注がれます。
というか、書いていて恥ずかしくなりました。うちの珀明は、なかなか男らしいのです。勿論、可愛いのは大前提ですが。










▼ おまけ(龍蓮が御泊りしてその翌朝の出仕前)

朝餉を終え、官服を身に纏った珀明を、龍蓮はそのまま椅子へと促し、座らせる。なんだと珀明が聞くが、それに言葉で答えず、龍蓮はその珀明の肩に垂れる黄金色の髪を優しく掴み、結わえていく。柔らかいなと思いながら、できるだけ丁寧に縛ると、それを白布で覆い、自分のものである青い髪紐で留める。それだけのことなのだが、龍蓮は己の口の端が釣り上げる。許可をとったわけではないが、こうしたら最後、珀明はきっと解くような真似はしないと、確信にも似た気持ちがある。
「………お前は、いつもだが、よくわからない」
結わえたそれを確認するように、珀明は手で触れてみる。お前の分がなくなるのでは、と聞くと、龍蓮はそれに応えるように、懐から髪紐を取り出す、それも何本も。珀明は呆れたように手掌で額を覆い、それ以上の干渉は已めた。
「貰ってくれ、珀明」
そう云えば、と龍蓮は思い出す。他の心の友2人には、頭上の羽根を渡したが、珀明には渡したことがなかったと。しかし、同じものでは新鮮味がないと、今まで使っていた髪紐にした。それも、できれば藍色でなく、似た青色で。
「……ああ、」
龍蓮は、この仕方がないと云うような珀明の受け入れ方がとても好きであった。拒否されるのは勘弁願いたいが、全面的に受け入れられるのも、少々危ういせいもあるためだ。
立ち上がった珀明の肩へと両腕を乗せるように体重を預けると、やはり抗議の言葉が向けられる。それを甘んじて受けるが、けして離れようとはしない。
「……で、また行くんだろう?」
「勿論、今度は東へ、」
その方向に全く根拠はないことは、最早指摘するほどのことでもない。常に、風の赴くまま、気分の乗るままなのだから。
「そうか、怪我をするんじゃないぞ、人様に迷惑をかけるな、」
念を押すように、珀明は肩から回り身体の前で組まれた龍蓮の腕を軽く数回叩く。果たして、この男が次に現れるのはいつだろうと思いながら。