花 下 に 歿 す
御題配布元 : http://lonelylion.nobody.jp/



大地に根が這ったように微動だにできずにいるのは、偏に戟すような視線と纏わりつく非常に冷酷な雰囲気のせいだ。そして、僅かでも遁走の姿勢をとろうものならば、彼の腰に佩かれた王賜の剣によって貫かれるだろうという危険を、本能で察知しているが故。
この十数年で公子から一国民へと変貌を遂げた静蘭という青年を構成する要素は、今、最早その外見だけだ。纏う気配は、嘗ての彼そのものだ。
けれども、薄い闇を身に纏ったせいで、その容貌は鮮明には目にできない。

「………だからお前は愚かだと言っただろう、藍楸瑛」

心做し姓を強調されたように聞こえたのは、然こそ楸瑛の誤謬ではない。

結われていないせいで、静蘭の紫銀の髪は普段よりも豊かに幽かな闇に映えている。

「劉輝に…いや、王にお前は相応しくなかった」

元より、藍家の人間に心を預けてしまったこと自体が、王にとっては誤りだったのだ。しかし、その結果を引き起こしてしまった根本の原因は、紛れもない自分なのだと静蘭は感じていた。
純粋で可愛い弟。元来、王という立場に立てるほど強くも冷酷でもない。王としての素質は充分備わっているけれど、如何せん、彼を支える存在が欠けているという危うい立場に立たされているのだ。

「…貴方は、」

わざわざ私の前に現われて、私をどうするおつもりで?
そこから先の言葉は生まれてこなかった。引き留めに来たはずもない、況してや、惜別故の行動でもあるはずもない。
誰よりも賢い元公子は、聞かずとも理解してしまうのだと思うと、楸瑛は居た堪れない感情を覚える。

「殺すのか、と聞きたいのか?……答えは否だ、藍州に帰る人間にもう用はない。精々弟に甘い三つ子に可愛がられるといい。そして私は、お前がこの王の都へと二度と足を踏み入れないことを願うだけだ」

紡がれる言葉の数々は、容赦なく楸瑛を襲った。けれども、そのどれ一つに対しても反論することができないのは、自分という存在を失うことで一つの孤影を背負った王の存在が今も頭から離れないからだ。

「………楸瑛、あの子の傍は、心地良かっただろう?」

微笑みながら問われ、楸瑛はその笑みの意味を計る。けして自分へと向けられているものではないと理解しながらも、彼の笑みはやはり美しい。

「……………ええ、とても」

藍家という存在などに拘泥することなく素直に慕ってくれた、実の弟よりも弟のような王。そして、王から賜った双花菖蒲の片割れである絳攸の存在。
瞼を下ろせば、今でも残像が楸瑛の脳裏に流れてくる。この言葉に偽りなどない。
そして、この決断に未練はないはずだ。しかし、胸に残る小さな痼りが罪悪感と僅かな迷いを物語っていることも確かであった。

「嘗てお前に言った言葉を覚えているか?……役立たずは必要ないと」

あの日の記憶に忘却など訪れるはずもない。

「私は……今更感じる、」

そう思い出すように呟いた静蘭の双眸に懐古の情は一点も感じられない。


「どうしてあのとき、お前を私のものにしていなかったのだろう―――――」


使いものにならないと退けて、今まで他人に傷つけられたことなどないだろう幼い少年の矜持を崩した。
今でも記憶に残る、あの悔しさに満ちた表情。

「―――――楸瑛、」

名を召されて、楸瑛は我に返る。豈図らんや、今更そんなことを言われるとは。

2人の間に築かれた物理的距離は、今やそれほど遠くはない。腕を伸ばせば、容易に腕の中に収められるほどに。けれども、遠い昔から楸瑛が味わっていた、静蘭いや清苑との縮めることのできない確かな間隙。

この不確かな距離をどうすればいいのか楸瑛が考え倦ねていると、反対に静蘭が楸瑛へと腕を伸ばしてきた。本能からか、楸瑛が軽く後退しようとすると、静蘭は性急に楸瑛の胸座を捉える。

この瞳に囚われて、逃げ遂せる者などいない。

楸瑛がそこへと留まっていることを確認すると、静蘭はゆっくりと拘束を解く。しかし、このまま捉えていてくれたらという邪な感情すら生まれてきて、楸瑛は何度目かも知れぬ自己嫌悪に陥る。
そして、楸瑛の心の臓へと目掛け、静蘭は指をその胸へと押し当てる。

「私のものにしていたなら、お前があの子のものになることもなかった……結果、あの子は傷を負った」

静蘭の新たに紡がれた言葉に、彼の意図を知る。そこには、冷やかな怒りが潜在する。
その言葉は自分に対する独占欲や所有欲からではなく、ただ弟への慈愛からだ。
けれども、あの頃ならば、それでもよかったのだ。あの孤高たる王の膝下に在ることができたのなら。

「………せい、えん」
「その名を口にするな、楸瑛……二度と女へと睦言を囁くことができなくなりたくないだろう?」

彼の唇から零れる言葉は、脅迫すらも甘美であった。

下から口付けられる。胸へと押し当てられた指はいつの間にか離れていた。
清苑として語る癖に、清苑は彼の中では過去の亡霊にしかすぎない。そして、自分はその亡霊へと未だ囚われているのだ。
愛しいのではない、愛しているわけでもない。ただ、どうしようもなく、囚われていたいのだ。
家へと忠誠を誓った自分がそれ以外を手に入れようとすることができない代わりに、自分を捉えて欲しい。

軽い口付けを与えると静蘭はすぐに距離を置こうとしたが、楸瑛はなけなしの意地でそれを阻止し、身体を捉えると、再び唇を重ねた。一瞬静蘭に見えた抵抗の色も次の瞬間には消え、楸瑛の好きなようにさせる。

「………っ…、」

どう足掻いても、腐れ縁の親友も、王も、この嘗ての公子も選べない。
唇を離した後に見られる薄く明いた唇も瞳も、どれも自分を魅了して已まないはずなのに。けれども、楸瑛の心は常に、ただ一つの許へと捧げられている。

「何故、抵抗なさらない」
「……臆病者め」

畢竟、彼の言葉はいつも的を射ている。

「……やはり、お前は私のものにしておくべきだったな」

藍家の中でも、極めて特異な青年。王の忠実なる配下になる可能性を、唯一秘めた藍の者。
けれども、それが愛しの弟王へと害を齎すようなことがあってはならないのだ。例え、楸瑛が王にとっての掛け替えない存在だとしても、赦せるものではない。
そうなる前に、『清苑公子の卒去』と共に殉ずることを選ぶほどに、自らの懐に取り込み所有してしまえばよかったのだ。最早、自分以外の誰にも仕えることが不可能なまでに。

「………花…花は与えて下さりますか?」

尊大な王たる存在から賜る信頼の証。
まるで、過去へと遡るように言葉を口にする。そして、楸瑛は胸の前で拱手した。

「紫の、花菖蒲以外ならば」

いつも心から信じることができなかった、弟王の判断、そして行為。彼の選んだ花の股肱。

「……そうだな、李花を、与えてやろう。お前の、片割れの名だ…いっそ小気味好いほどに似合うだろう?」

李花の花言葉は、忠実、独立そして―――疑惑。主に背かず、家からの干渉を受けず、それでも主からの疑いが全て霧消されるわけではない。
彼から与えられる全ては、けして生易しいものではない。信頼という花の名の下、常に彼の期待以上のものを求められ、そして、身から搾取されていく。そして、その最期は―――――。

「……………少し、話し過ぎた」

気だるそうに長めの前髪を掻き揚げて、静蘭は鋭利な視線を楸瑛から外す。

可愛い弟王は、この離別を誰よりも悲しんでいることだろう。
そして、再び取り戻そうと立ち上がるのだ、彼は王で、そしてそれ故孤独だ。それを、自分は積極的に止めることはしない。王が本気だというのなら尽力する。しかし、何故自ら去ろうとする者へとこのように近付いたのか、それは静蘭の胸の内に秘めてあり、誰も知る術はない。

「さようなら、藍楸瑛」

静蘭の口からは、遂に将軍という放棄した名が紡がれることはなかった。嘲笑さえ僅かに滲んで見えるその言葉の内から、往けという(それは勿論藍州のことを指しているのだが)無言の命が楸瑛へと伝わる。

楸瑛は、少しの名残を―――何、に対してなのかは、結局わからずに―――胸に秘めながらも、静蘭に背を向け、歩を進めることに疑いを感じはしなかった。

けれども、嘗て抱いた公子への感情を、今此処に置いて去りたいと願っていることだけは、ゆめゆめ間違いではなかった。いや、畢竟、その想いは歿したのだ、華のように美しく猛獣のように強い彼によって。







楸瑛×静蘭の「青嵐」捏造ネタ。
甘さの欠片もないものですいません・・・後ろ向きですいません。「青嵐」を見てから、将軍(と書いて愚兄と読む)に関わるネタは全てネガティブ思考になってしまうのです(涙)
「歿す」は「没す」とも書きます、難しいので念のため。