朋友への道



その日、珀明が仕事を終わらせ(本当の意味で終わったわけではなく、上司のお陰で日々溜まっていく仕事に、仕方がなく目途を付けて切り上げ)、疲れた体で邸に帰ると、それを見計らったかのように龍蓮が姿を現した。昨日に続け、今日も珀明の邸に泊まる約束を交わしていたためだ。龍蓮曰く、藍家別邸は風流でなく、大層お気に召さないらしい。それを聞いた珀明は(何度目になるかも忘れてしまったが)、龍蓮の美的感覚を疑った。
既に夕方と言える時刻を幾分か過ぎ、昊(そら)は黒を帯び始めていた。





「―――で、結局、お前は当主の代わりに朝賀に出るために、わざわざやってきたのか?」

帰宅した珀明は、既に準備が整っていた夕餉を済ませると、自室に戻って、約束通り龍蓮から茶州での話を聞いていた。片手にはお茶を持ちながら。
とりあえず珀明は、秀麗と影月の2人が無事なようで安心する。昨日の話では、朝賀に茶州州牧として秀麗が王都を訪れるそうなので、その折に本人と時間があれば話そうと思う。だがそれに加え、珀明は今回、何のために龍蓮が貴陽へとやって来たのか、それが気になったのだ。

「親しき友其の一(仮)の祝儀でもある故、友として馳せ参ずるのは当然のこと。」

話を聞く上では、嬉々と龍蓮の恰好を褒め、笛の音を賞賛したらしい。新しい茶家当主であるその克洵という名の青年は只者ではないと、珀明は驚愕すると同時に感心した。この龍蓮に衣装の見立てを頼むあたり、何処か無謀さを感じさせるものの。それよりも括弧仮ってなんだ。

「・・・・・・そうだな。若い茶家当主ともなれば、お前が友であるなら、さぞ心強いだろう。」

政治的に見ても、家としても。勿論、龍蓮に親しみを感じている克洵に、そのような価値は関係なく、実際にあったとしても付加価値として受け取るのかもしれない。
だが、茶家の当主という立場なら自分とは別だと珀明は感じた。友として公の場で交流ができ、認められさえするだろう。彼はそうなるべく肩書きを有するのだ、後見とてしっかりしている。珀明は俯いた。

「勿論、当主如何を抜きにしてもだ・・・お前は、時々何処か頼もしい。 」

けれども今の自分にはそれが叶うことはないだろう。羨ましいというわけではないが、胸を張って対等だと嘯(うそぶ)くことができないことも確かだった。直系とはいえ、ただ碧家に名を連ねるだけの吏部の下吏でしかない無力な自分が、藍龍蓮の友として表に出ても、それは珀明にとっても龍蓮にとっても利にはならない。仮にあったとしても、それだけで済むことではないのだ。そんなことのために友をやっているわけではないと珀明は断言できるが、理性的に捉えるならば、友という存在が龍蓮にとっての弱みとなる。

「珀・・・・・・私は、珀が好きだ。」

手にしていた器を茶托に戻すと、龍蓮は珀明に言い聞かせるように呟いた。
何度も言葉にされたが、こんなことを考えているときに好きだなんて囁いてくるのは卑怯だ、珀明は顔を上げずに返す。

「・・・僕は、嫌いだ。進士式をすっぽかして、暢気に笛吹いてばかりいて・・・お前は、いつだって僕を怒らせることしかしないんだ。今だって、そのことを許したつもりもない。」

だが、龍蓮にも進士式に参じなかった理由があることぐらい、龍蓮の置かれている立場から、珀明にも理解できた。笛ばかり吹くのも、人と距離を置くことも。それでも納得することはできなかった。
どうして僕のところへ来るのだろうと、珀明はいつも尋ねたかった、本当の意味を知りたかった。
今もこうして好きだと言うように、好いてくれるのは十分わかる。そして、どうして自分は龍蓮を受け入れてしまうのだろうか、最後にはそう自問する。

「僕は、弱い・・・・・・それでも、僕はこうしてお前と一緒にいる。友だと、お前が僕に言ったからだ。例え、お前の足枷になったとしても。」
「珀明。」

珍しく表情に怒りを表して、龍蓮は咎めるように吐いた。このように名を呼ばれるのは初めてだったので、少したじろぎはしたが、引こうとは思わなかった。

「・・・・・・お前と付き合うことで、僕が害を被るかもしれない・・・当然だ。」

藍家の臣がそれを許しはしない。自由に誰かのために動くような存在ではあってはいけないのだ、藍龍蓮が。碧家は紅家ほど重く見られず、侮られているから、少しはましかもしれないと、珀明は自嘲した。

「私に、何を言わせたい・・・・・・私は、珀明を、それに勿論秀麗も影月も、離すつもりは更々ない。」
「当たり前だ。お前が言い出したことを途中で投げ出すつもりか。そんなことしたら、殴るからな。」

避けられることは目に見えてわかっているが。

「・・・・・・そうだな、つまりは、悔しいんだ。」

少し考えて、1度息を吐いてから、珀明は言葉を紡ぎ始めた。

「官吏になって間もないから、下っ端で無力だとわかっている。だが、あいつらは一気に州牧になって茶州に赴任、お前は追いかけるように放浪の旅。置いていかれた気分にはなったさ、待つことしかできないんだからな。」

勿論、あの2人にはそれだけの実力があることもわかっている。今回の凱旋も、彼らならきっと成し得るだろうと思っていた。自分を押しのけて上位に収まったのだから、そうなってくれなくては困る。珀明は、いつもそう信じていた。

「普段の珀明なら、いつか見ていろと言うところだ。」

龍蓮の言葉に、珀明はそうだなと相槌を打つ。

「・・・だけど、昨日真っ先に龍蓮がここに来たことが嬉しかった。怒鳴って、それを誤魔化したいと思うくらいに。帰りを迎えることで、何もできずに待っていたことが少し報われたんだ。」

待っていることしかできない立場は無力であると、まざまざと珀明に押し付けた。それでも、秀麗たちにはできず自分のやるべきことが、この王都にあるのだとわかっていた。
だが、心配しかできないのは心苦しい。その上、秀麗と影月は文の1つも送らなかったので、思っていた以上に苛々する気持ちが強かった。

龍蓮は無言のまま席を離れ珀明の臥榻(がとう)へ歩み寄ると、そこへと腰を下ろした。
臥榻が微かに悲鳴を上げた。
そして、珀明を手招きして、自分の隣へ坐るように手振りで示した。だが珀明は嫌だと龍蓮の手招きを突っ撥ね、椅子から離れようとはしない。

「ふむ・・・では、他の方法で・・・・・・ここは、珀明の心を穏やかにするため、我が笛で1曲。」

珀明の邸に来るや否や、龍蓮は立ち上がる。珀明が龍蓮から剥ぎ取った飾りや衣服、笛は、わかりやすく箪笥の上にまとめて鎮座していて、そこへと手を伸ばそうとしたところ、椅子から素早く立ち上がった珀明が龍蓮の前に立ちはだかり、怒ったというよりは拗ねた表情で渋々龍蓮の隣に腰を落ち着けた。無言の拒否だ。

「珀明は、秀麗と同じことをする・・・遠慮深くも私の演奏を辞退した。」
「至極当然の反応だ。」

秀麗でなくとも拒絶する、止める勇気と隙さえあれば。

「それ故、やはり他の方法で慰めた。」
「・・・お前が?・・・どうやって。」

正に我が道を突き進み、気遣いやまともに謝る、礼を述べるところすら見せることのない男が、よくぞここまでと、珀明は束の間機嫌が悪かったことを忘れた。

「抱き締めた。」
「案外普通だな・・・・・・で、まさか僕にも同じことをしようと思っているのか?」

珀明は龍蓮を見遣った。そして、慰められなければならないほど思い詰めているつもりはないと言い放つ。龍蓮は否定も肯定もせず、珀明を見つめた。
別に、抱き締められることが嫌なわけではない。それこそ今更だ、珀明は半ば言い訳染みた言葉を自分に言い聞かせる。だが、そんな珀明の隣で、龍蓮は穏やかに淡々と言葉を発する。

「友は誤魔化せないものだ・・・・・・珀明が、私のために悩んでいることもわかっている。」
「っ・・・自惚れるな。」

例え龍蓮のことを考えていた結果だとしても、延いては自分のためでもある。それは、単なる自己防衛でしかない。優しさではない、弱さだ。
質(たち)の悪い友だ。

「わかっていても離れたくはない。珀明が結局私を受け入れてくれるのと同様に、私は珀が好きだ。」

龍蓮の手が結われていない珀明の髪を撫ぜる。碧眼に映えるその髪は柔らかく、龍蓮の指に絡まる。龍蓮のその行為に、珀明は目を瞑って甘受していたが、暫くして口を開いた。

「自惚れるな・・・僕は嫌いだと言った。」

その言葉に怒気も毒気も感じられない。

「だが、それでも珀は私のことが好きだ。」
「・・・僕は、悩みすぎているのかもしれない。」

龍蓮は、珀明の言葉に対して、肯定も否定も示さなかった。

こうして自分がこの関係について憂慮していることは、本当に些細な心配でしかないのかもしれない、何もできないのだから。そう考えると、珀明は自分の不甲斐無さを感じずにはいられなかった。
自分が生まれた家という存在がどれほど重要かを珀明は知っている。憧れの人を目指して官吏になったが、もう1つの大きな理由は、一族のためである。碧家に生まれたことを誇りに思っている。それ故、昔から政略結婚にもそれほど抵抗を感じてはいない。さしたる芸のない自分なら、それは尚更だ。

「・・・私は、珀に十分支えられている。帰ると言える場所が在るのは、いいものだ。」

そう言う意味では藍家もそうなのだろうと、龍蓮は心の中で付け足す。だが、家という存在に縛られていたとしても、あれはあくまで『藍龍蓮』を欲しているだけだ。心まではいらない。自分を守ってくれた兄たちがいなければ、今、こうしてここにいることすら叶わなかったほどに、その力は大きい。

「秀麗や影月がいるところも、珀のいるところも、私が帰ってこれる場所だ。」

何年も前に長い旅に出た。時々命が下って家に行くことはあったが、帰ったというよりも連れ戻されたとしか感じられない。兄たちに会えるのは、そこそこ、それなりに、微妙に意味のあることだったかもしれないが。

長い間放浪し、辿り着いた場所に彼らがいてくれたことが嬉しい。

「・・・そんなこと言って、後悔したって知らないからな。」
「しない。」

自信を持って言葉にする龍蓮の姿勢が、珀明は嫌いではなかった。真っ直ぐで素直な気質には好ましささえ感じる、ただ人と視点が大きく異なるだけで。秀麗や影月が、勿論自分もだが、龍蓮を受け入れるのは、そういったところが大きいのだと思う。放っておけない(いろんな意味で)のだ。

「僕とて後悔はしたくない、でも・・・いつか、自分が無力だと感じることが怖い。茶州で、あいつらにもしものことがあったら、何もできなかった僕は、絶対に悔しい。それに、悲しい。」

龍蓮にそれがわかるだろうか、珀明は敢えて問うことはしなかった。

「龍蓮・・・僕は、お前が後悔しないでくれると嬉しい。」

そしたら、この関係が壊れたとしても、何処かで安心できる気がする。出会って友となったことは、けして間違いではなかったと言ってくれれば幸いだと、珀明は思う。そうでなければ、突然心の友と宣言された身としては居た堪れない。

「しない・・・・・・だが、もし、仮にしたとしたら、慰めて欲しい。」

逃げずに抱き締めて欲しい。受け入れて欲しい。

「・・・・・・考えておく。」

龍蓮は、もう1度、珀明の髪を撫ぜた。そして、そのまま金色の髪へと唇を落とした。







茶州から秀麗が朝賀のために帰ってくるちょっと前の(龍蓮が一足先に貴陽に着いた)話。『何だかんだ言って』の続編でもあります。単品でも読めます、きっと。
とりあえず、影月くんに関わる情報が龍蓮の耳に入ってくる前なので、友を失うことに対しての恐怖がそれほどありません・・・・・・私の文才でそれが伝わるかどうかは微妙な問題ですが。そして、龍蓮が帰ってきたら慰めますね、珀明は。
うちの龍蓮はなかなか笛吹きませんね・・・話を書いたら、大抵珀明邸での出来事だからですが。