陽玉、と不本意にも、認知も許容もしていない呼び名で呼ばわれ、欧陽玉は、それでも仮にも上司――管飛翔――の言葉であるのだからと云うそれだけの理由で、なんとか顧みた。視線の先にいる飛翔の恰好と云えば、朝と変わらずだらしのないもので、いつものことながらも、きっちりとその装いを整えたいという衝動に駆られた。この人も、ちゃんと所帯を持てばもう少し身奇麗にしてくれるのだろうかと、玉は考えているのだが、結局のところ、いくら自分がそれを考えたところで無意味であるのだから詮無きことだという結論になる。
なんですか、と云う言葉を、玉は嘆息とともに吐き出す。そのような玉の御座なりな態度に、飛翔は軽く憤慨して見せるが、しかしそれも長くは続かずに、何かを含んだような笑みを見せて口を開く。
「・・・お前の大事なお嬢様に会ってきたぜ」
「・・・なっ、」
予想もしていなかった言葉に、玉は息を呑んで、暫くの間黙する。しかし、ここで憤慨して感情的に言葉をぶつけたところで、恐らくこの目の前の男の思う壺であろうと自制しつつ、玉は飛翔を睨む視線だけは緩めなかった。
しかし、そのような(少なくとも飛翔のような有害な人物が珀明に近付くことは、玉とっては)重要な事項が碧家の情報網に引っ掛かって、今現在玉の耳に届いていないということは、本当につい先程のことなのであろうということはわかる。
「・・・余計なことを吹き込まなかったでしょうね、」
珀明どころか、工部の官吏にとってもある意味で悪影響な上司のことだ、うっかりと云わず敢えて何かを珀明に向かって口走っていても、少しも不思議ではない。さっさと白状させて、問題があるようならば、早急なる手を打たなければならないと、玉は鋭い視線と共に飛翔へと問い質す。
「・・・・・・なんだよ、余計なこと、って」
しかし、玉の問いに、飛翔は揶揄するように勿体ぶった言葉を返す。
「とりあえず、貴方の口から出る全てのこと、とでも云いましょうか・・・・・・何を仰いました。貴方が女人官吏の件を認めていないのはわかっています。けれども、だからと云って、珀明様を傷付けるような発言をするならば―――っ、」
「陽玉、落ち着け」
次第に語気が強まってゆく玉の、その右頬へと手を翳すような仕草を、飛翔はして見せた、しかしそれは触れることなく、直前で制止する。玉はその所作に息を呑み、刹那僅かに震えるのが、飛翔にはわかった。そして、続く飛翔の言葉に、玉の閉じた口唇はそのまま開かなかった。落ち着け、と云う言葉を、飛翔に云われたことが堪えたのか、けれども、視線だけは緩まなかった。
「・・・触れないで、下さい」
「触れてねぇだろうが、・・・ほら、これで満足か、」
頬に触れそうな距離にあった左手を、飛翔は緩慢な動作で下ろす。
「・・・・・・にしても、自分の後見人の顏くらい教えとけよ。あの嬢ちゃん、俺のこと、全然認識してなかったぞ」
そう云い、飛翔は先程会ったときの、珀明の顏を思い出す。確かに、彼女の頭の上には疑問符がいくつか散っていたことだろう。
「黙って下さい。本当なら、私が珀明様の後見人になりたかったのですから・・・!」
「無理だろ・・・官位足りないからな」
全くの正論を返されて、玉は再び息を呑む。それが間違っていないからこそ、言葉が生まれてこなかった。
女人試験における条件の一つに、正三品以上の官吏か大貴族の後ろ盾という項目があった。口惜しいことに、工部侍郎で当然正四品下を賜る玉には届かぬものであり、つまるところ、正三品以上は、六部尚書以上の官位でなければならないということなのである。玉は、その時ほど、侍郎の立場である自分に対して後悔をしたことはなかった。
「・・・別にお前は、碧家の代表として、嬢ちゃんを支えてやればいいだろ、」
「・・・・・・そんなこと、わかっています」
「但し、過保護も過干渉も厳禁だからな」
拗ねた表情を見せる部下に、飛翔は更に釘を刺す。云われずとも、玉がそのことをしっかりとわかっていることは、飛翔も承知しているが、理解していることと納得していることは全く異なる。部下の理性的な面を知っているつもりではあるが、感情が追い付かなくなった場合、何をするかわからない。大事に思っている相手の立場を、より危うくしてしまうことは、この政治の世界では屡あることだ。
「・・・悔しい、」
「あ、」
感情的な言葉に、飛翔は、僅かに続きを促すように相槌をうって見せた。
「家柄など・・・実力で勝ち取った官位で、私は、珀明様をお支えしたかった」
それができない自分が悔しい、それなのに、それを可能とする貴方が、憎らしいほど羨ましい。
感情を吐露する、玉を、飛翔は自分でも驚くほど冷静に見下ろしていた(何せ、いつもと立場が逆転しているのだ)。
「お前が、選んだんだろ、俺を。よりにもよって、女人官吏を認めていない俺を」
飛翔としても、何故玉が自分を珀明の後見人になるように依頼してきたのか、その意図がわからないわけではなかった。そもそも、圧倒的に女人官吏に対する賛成派が少ない中(玉自身とて、女人官吏に珀明が含まれていなければ、賛成派になることもなかっただろう)、自分が最も介入しやすい人物が飛翔であったのだろう。
「受けたのは、貴方です」
「・・・・・・ま、官吏としてはこれからが見物だろうけどな。立場的には、お前の嬢ちゃんよりも、黎深とこの嬢ちゃんの方が、よっぽど悪いようだけどな」
官吏になった途端、茶州州牧に任命されるとは、王の決断も聊か思い切ったものだな、と飛翔は笑った。彼らの実力を周囲に示すには、効果的ではあるかもしれないが、それに伴う危険もやはり付き物だ。勿論、それなりの温情措置も行われているのだが。
反面、一応は、もう一人の女人官吏――紅秀麗、件の州牧である――の後見人である紅黎深と、李絳攸が司る吏部に在籍することになった珀明も、それなりの措置を受けてはいる(本人の意志でもあるが)。あそこ(吏部)は、その仕事の激務さからか、珀明の性別がどうとかよりも、寧ろ、その手腕に期待せざるを得ない(どうしたって、吏部と戸部は人手不足なのだ)。
「丁度いいんだよ、俺が間に挟まって。だから、お前は俺ごと面倒みればいいんだよ、」
「・・・な、何を勝手なことを!」
「いいだろ、別に。実質、嬢ちゃんが頼りにしてくるのはお前なんだし。で、公務で俺の面倒を見るのはいつものことだ・・・・・・間違ってはいないだろ」
別段、説得力がある言葉でもなかったのに、妙に納得してしまった。しかし、玉は、そのことよりも、殊に冷静に対応する己の上司が、気に食わなくて仕方がなかった。結局のところ、今はどう足掻いたところで、自分は珀明の後見に足るだけの立場にはないのだ。今の自分には。
ああ、こんな男でも、一応は、しっかりと珀明様に紹介しなければならないのかと、玉は嘆息する。
玉が、飛翔を再び睨み上げると、飛翔は意地の悪い笑みを浮かべている。そして、今度こそ玉の頬へと掌を伸ばして、愈々、翳すように触れてきた。
終畢
玉の官位では、女人が国試を受験するための条件である後見人の件において不十分であるため、せっかくなので飛翔(工部尚書)に出っ張ってもらいました。というお話です。因みに、飛翔には、玉が直々に頭下げて頼んでいたらいいと思うよ。その辺りは面倒なので書きませんが・・・。この話では、とにかくのんべえが男前です。きっと、いい男だと思います。
この話は、かなり私の独断と偏見含んでいる上、原作の方と矛盾した点があるかもしれませんが、そこは華麗にスルーしちゃってください。
この話は、ともかく、にょた珀明が、どれだけみんなに愛されているのかが伝わればいいのです(言い切ったよ・・・おい/汗)。
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