人の気も知らないで



自分の姉(の失踪)が発端となった今回の騒動の事後処理が一段落し(それこそ碧家を総動員して)、押し付けられるように与えられた連日の公務での疲れも相俟って、珀明は久しぶりに落ち着いて床に就いた。それこそ、床に倒れこんで眠ったときは最悪だったのだ。
臥牀(しんだい)の包み込まれるような感触に、珀明は懐かしさを覚え、思わず頬擦りさえして、あと少しで涙まで零れそうだった。数日間何も食べずにいて、久しぶりに握り飯を食べたときもまさかこんな感じだろうかと、珀明は朦朧とする頭で考えた。生憎、そんな自体に陥ったことはない。
今にも閉じてしまいそうな瞼を、気力だけで持ち上げる。何せ目蓋が勝手に落ちてくるのだ。夜衣にも着替えていない上に、髪すら解いていない。湯浴みなんて以ての外だ。けれども、臥牀に投げ出された腕は、鉛のように重くて持ち上がらない。
それでも、珀明の胸の内には達成感という名の満足感があった。

「・・・りゅ・・・れん。」

ふと、完全に開いていない珀明の目に、見慣れた姿が留った。相変わらずの派手な恰好に対し、怒鳴ること以前に、まともに名前すら呼べない。眠い。
もはや、どうしていきなりこの室(へや)に現れたのかを問い質すこともできない。自分が目を閉じてしまったら、いなくなってしまうのだろうか。近付いてくる龍蓮に視線を合わせようとするが、言葉は一向に生まれてこなかった。

「ご苦労だったな、珀明。」

優しい声が耳に響く。

「・・・・・・もう眠るといい。」

そう言うと龍蓮は、臥牀に倒れこんでいる珀明の沓(くつ)を丁寧に脱がし、自らもそこに腰を下ろす。そして、珀明の頭へと手を伸ばすと髪紐を解いた。流れ落ちた髪を、龍蓮は何度か手で擦(なぞ)る。
それがいつもに増して心地良くて、珀明は誘われるように意識を手放す。
珀明の体を軽く持ち上げ、楽な姿勢にして横たわらせると、龍蓮は完全に閉じきってしまった瞼に唇を落とした。










夢か。
目を覚ました珀明は、勢いよく体を起こしながら、そう自問しつつ室の中を見渡した。

「違う・・・」

髪が結われていない、掛けた記憶のない掛衾が掛かっている。確かにあの男に名を呼ばれた、珀明は半ば確信にも似た気持ちを抱いた。
ひた、と冷たい床に足を乗せ、そのまま沓を履くこともせず、庭へと続く闔(とびら)を開いた。昊(そら)を仰いで、天日の傾きを確認する。どうやら、既に正午とそこまで変わらない時間のようだ。すっかり寝入ってしまった、特別に休みをもらえて助かったと安堵する。

「珀明。」

庭の奥の方から名を呼ばれて、珀明はそちらを見遣る。そこには、昨晩、虚ろな意識の中で見たのと同じ物を身に纏っている龍蓮がいて、珀明は無意識に胸を撫で下ろした。夢ではなかった。
そして、徐々に近付いてくる姿を見て、会いたかったのだと思った。安堵に似た気持ちを覚える。
2歩程度の感覚を空けて龍蓮は立ち止まる。そんな控えめな距離がもどかしくて、珀明は自ら龍蓮へと手を伸ばした。そして、そのまま龍蓮の胸へと額を寄せ、おかえりと言いながら軽く凭れ掛かった。腕を龍蓮の腰辺りに回す。突発的な行動に、自分でも呆れてしまった。

「珀・・・」
「どうした。」

一向に抱き締め返してこない男に珀明は少しばかり不満を感じたが、再び名を呼ばれて龍蓮の顔を見上げた。

「私はまだ、飾りを取っていないのだが。」

龍蓮の言葉に、珀明は瞠目した。そして、笑みが浮かんできた。そこまで真面目に約束を守らなくてもいいだろうと思うが、そこに龍蓮らしさが滲んでいたからだ。その約束は、自分が言い出したことであったから珀明は余計に嬉しかった。
体を離すと、珀明は室の中へと龍蓮を招いた。





珀明は、いつものように器用に龍蓮の飾りを解いていく。頭の上にはいつもの羽根と、今回は季節の花々。そのままでは可哀想だろうと、水差しの水を底の深い器に入れて、その花を差した。
外套を外し、手首に嵌った腕輪を取り、余分な衣服を剥いでいく。
いつもながらこの派手さには驚かされるが、見慣れてしまえば恰好なんて中身に比べれば些細なことだと思う。笛と違って周りに迷惑だけはかけないのだから。

「・・・お前、今回のこと知っていたのか?」

以前、龍蓮に掛けられた言葉を思い出した。いずれ厄介なことがやってくるから無理をするな、と。そのときは、あっさりと流れてしまった曖昧な言葉ではあったが、確かに今回の騒動のことを指していた。結果、厄介な事態に陥り、自分は眠る暇もないほど無理をしてしまった。

「ある程度は予測していた、と言っておく。」
「そうか・・・・・・。」

最後に、龍蓮の髪を解く。龍蓮が珀明の邸に来るようになってから、度々繰り返されるこの行為は、既に決められた儀式に近くなっている。珀明が藍色をした髪紐を卓子の上に置いてしまうと、龍蓮はその手を掴んで引き寄せた。

「また、痩せた。」

囁くように声を掛けると、珀明は龍蓮の腕の中でばつの悪そうな顔をした。

「いいんだ・・・他でもない僕の仕事だったからな。」

吏部の官吏として果たさなければならなかった。碧家に属するもの者として、家族として、どうしても守らなければならないものだった。思わず、問答無用で怒鳴ってしまったのも、心配したからだ。
そう言った途端唇が重ねられて、甘んじて受けてしまう自分は、やはり口付けされるんじゃないかという期待を抱いていたのかもしれないと、1人頭の片隅で考えていた。

「・・・・・・っ、ちょ・・・龍蓮!」

口から離れた龍蓮の唇が、頬から顎、首筋と辿るように下に下りていくと、珀明は慌ててその口を掌で塞いだ。だが、衣に掛かる手は止まっておらず、珀明は再び口を開く。

「待て!・・・まさか、抱くつもりなのか?」

冗談を言わない、しない男だとわかっているから、きっと行為通りのことを進めていくつもりなのだろう。だが、1度抱かれたからと言って、珀明自身がそう簡単に受け入れられるはずもない。万が一否定されたとしても、その後の雰囲気に影響しそうで嫌だが。
口を塞がれたままの龍蓮は、珀明の表情を瞥見(べっけん)すると、首を縦に振った。

「・・・っ・・・・・・」

珀明は微かに狼狽し、言葉に詰まった。どうしようという言葉が、繰り返し頭の中を過ぎる。すんなりと受け入れられるほどその行為に踏ん切りができていない。はっきり拒絶ができないのは、やはり、愛しさを感じているからだろう。曖昧な態度が一番嫌いで、駄目だとわかっていても、こればかりは直ぐに解決できない。
龍蓮は、口を塞いでいる珀明の手を掴んで外すと、顔を寄せて、再度口付けた。幾度か角度を変えながら、軽く、ときに貪るように口腔を侵していく。

「・・・嫌か?」

今度は、少し荒く息を吐いている珀明に龍蓮が尋ねる。

「聞く・・・な・・・・・・僕に答えられる言葉はない。」

受け入れて欲しいと思うなら、僅かな抵抗すらもできないくらいに、早々に抱いて欲しいとさえ感じてしまう。どうせ、懇願されれば受け入れてしまうのだから。愛しているのではなく、甘いのだ。傍にいたくても、近付きすぎてはいけない。それでも、この男の腕の内は暖かくて。
臥榻へと押し倒される。圧し掛かってくる重みが悲しいほど心地良くて、珀明は瞼を下ろした。

「好きだ。」

幾度となく囁かれた言葉を、珀明は遠いことのように感じる。自分がまともに告げたことはない。それよりも、おかえりと言葉を掛けることが、珀明にとっての龍蓮を受け入れる方法だからだ。この男は、人の気も知らないで、好きだとばかり囁いてくる。同じ言葉を返せるはずもないのに。だから、いつも珀明は返事に詰まる。それでも、嫌いだと返さなくなったのは、龍蓮の押しに負けたからなのだろう。

「・・・知ってる。」

顔を合わせることが躊躇われ、珀明は紅潮した頬を隠すため、自ら龍蓮の首へと手を回した。そして、丁寧に扱えと、憎まれ口を叩いて龍蓮の蔵黒藍色の髪に唇で触れた。







なんだかもうわけわからないですが、紅梅のちょっと後のお話。
姉上(&万里)の騒動の後始末をした珀明を訪れる龍蓮です。(しかも、My設定では、この騒動の少し前に龍/珀は一線を越えてしまいました。/『可惜夜』参照。)とりあえず、やっぱり拒めない珀明はいつも通り。つまり、このままいけば、2回目となるわけですね(下世話)。
なんだかんだ言って甘い2人。でも、根本的な部分ではそうでない。
というわけで、まさに尻切れ蜻蛉そのものですね、この話は。
龍蓮がスキンシップ過剰なのは、きっと、仕事のやりすぎて痩せていないかどうか確認するためでもあると思うよ(いや、そうに違いない)。そして、その対象は珀明に留まらず、秀麗や影月も含まれると勝手に妄想してます!(VIVA!心の友!)