慟 哭 凱 歌
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その日の黄昏時、浪燕青―――ここでは小棍王と名乗っている―――は、今日、ある村の豪商の邸を襲うために早旦に発った殺人賊の仲間が、今し方塒(ねぐら)に帰還してくることを見知る。
意気揚々と剣戟を携えて歩いてくるその様から、本日の仕事が成功したことが容易に見て取れる。彼らにとっては歓喜の凱旋だ、煩わしささえ覚える獣染みた笑い声は、まるで野蛮な凱歌のようで耳に障る。
燕青は一人顏を顰めた。自分の家族と同様、一体何人の生命が犠牲になっただろう。運良く今回の人選から外れることができたが、そこに大きな差はない。ただ、自らが手を汚すか汚さないか、それだけであり、失われる生命に変わりはない。歯噛みをする。
瞑祥が率いる今回の獲物狩りには、必然と彼のお気に入りである小旋風も含まれていた。今も、馬上の瞑祥の傍に一人俯きながらこちらへと歩を進めている。

塒へと全員が辿り着き、各々が野蛮な獣のような声を上げながら休息のために室(へや)へと散っていく、しかしその流れに逆らう人物がいた―――――小旋風だ。
再び塒から離れ、一人何処かへ消えていくのが燕青の視界に移る。それを目で追う、次の瞬間には無意識のうちに足が追っていた。





小旋風の足跡を辿り、燕青は草木が鬱蒼と茂った場所でその後ろ姿を視界に捉えた。
蹲っている。
具合が悪いのだろうかと、やや急いて近付くが、その足音と気配を察した小旋風は敏捷な所作で立ち上がり、背後にいる燕青へと尖鋭な双眸を向ける。顧みた瞬間、小旋風の長い青藤色の髪が紊乱する、それはやけに優美な流れだ。けれども、今にも始終彼の腰に佩かれた剣が抜かれそうな雰囲気を醸す。そんな小旋風に、燕青は少し怯んだものの、それも束の間に立ち直った。

「――――……小、棍王」

小さく、まるで囁くほどのか細い声。
このような風采を、燕青は、知らない。

「………何の、真似だ」

指摘されて気付く。何故か手が無意識に動き、燕青の右手は、小旋風の左手首を捉えていた。細く、白いそれを。
そして、その腕に、強い力で掴まれた痕が痣となって残っているのを覗き、燕青は嫌なものを見たと内心顏を歪める。そして、突き刺さる視線を浴びながらも、燕青は笑みを浮かべてみせた。

「………」

向けられた幼さを垣間見せる―――これほど、この場所に不似合いなものもない―――笑みに、苦虫を噛み潰したような顔を小旋風は返す。もう手の届くことのない過去の記憶が、不意に蘇る。

「燕青って呼べって」

前に言っただろう、燕青は呆れ顏と共に口を開く。こうして悪意のない笑みを向けられるのは、やはり久方ぶりだ。その久闊は、小旋風が望んで已まないものではなかったけれども。
小旋風は、燕青の言葉に肯定も否定も示さず、暫しその顔を凝視する。間の抜けた顔だ。自分よりも幾分体格は良いが、それほど歳が離れているわけではない。
だが、この殺伐とした環境で、このような笑みを浮かべることのできる存在がいるということは、小旋風の関心を僅かに擽る。此処――殺人賊――にいるということは、少なからず、過去に傷を負っているはずだ。

「小棍王、」

どういう理由でかは知らないが、自分の手首を掴む年の割に無骨な手を解き、そう口にすることで、小旋風は燕青の前言を無殘にも切り捨てる。

「いや、だから燕青だって………」

燕青がそう言い終わるや否や、小旋風の腰に佩いた剣が敏速に鞘から抜かれる。しかし、その鋒が燕青の咽喉を衝くことはなく、首に届く数寸手前で制止した。

小旋風の抜刀に至る動作に殺気らしい殺気は感じなかったため回避をしなかった燕青は、それでもその素早く美しささえ感じさせる所作に息を呑み、また、眼を瞬かせる。初めて眼にしたときから感じていたが、その洗礼された所作の数々は、並大抵の出自ではない。このような場所など、全く正反対の世界だろうに。
だがそれ以前に、自分が彼の地雷を見事踏んでしまったようだと、少し焦りを感じた。

「小旋―――――」
「私は、小旋風ではない……!」

そして、最早、第二公子である清苑でもない。では、己は一体誰で、どのような存在なのだ。名は。立場は。存在意義は。大切なものは。護りたかったものは。

返せ、何度心の中で叫んだことか。公子の地位も、培われた教養も知識も、況してや父母も、今の自分には不要だ。だが、唯一再び手にしたいと願う最愛の弟の存在が跡をついて廻る。

そして、鋒を向けて尚、平然とした顏をしている目の前の男が、小旋風の癪に障った。先程から、いくら冷たくあしらおうとしても、然して気にすることもなく話しかけてくる。
鋭く晄る剣先を下ろし、鞘へと戻した。

「―――――今日、襲った商家の家には、まだ幼い、五歳ほどの少年がいた……」

ふと発せられた小旋風の呟きに、燕青は微かに眉を顰める。瞼を下ろしていた小旋風の眼に、それが映ることはなかったけれども、纔かに燕青を取り巻く雰囲気が変化したことを察した。が、敢えて気付かなかった振りをする。

「その少年は……殺された―――――弟を庇って」

そして、またその弟も。
その光景を思い出し、また口にすることよって、嫌悪感が舞い戻る。今は遠く離れた王都に、独りで暮らしているかもしれぬ弟の存在が蘇る。自分の存在意義は、彼が傍らに居てこそ成り立つのだ。

「………哭いてるな」

燕青の言葉は、畢竟、云い得て妙であった。そして、それがやけに腹立たしい。
燕青の頬にある十字の傷痕――その内の一つは自分が付けたものだ――を、訳もなく見遣る。

自分は、嘆いているのだ、叫んでいるのだ。けれども、それを顏に出さないのは、偏に過去身に付いた処世術がそうさせるから。出さないのではない、出せないだけだ。心は、確かに哭いている。何度も、幾度も、恐らく厭きるほど。

何もかもを奪われて、失って、今自分の手の中に殘ったものは、欠片ほどの孤高の矜持。それも今では、微塵に帰したようなものだ。

望みは、晄は失われ、もう自分には降り注ぐことはないのだろうか。
あの愛しい晄は、今、どうしているだろう。

遙か遠くで聴こえてくる気がした、

(―――――慟哭が……)

もう、まもることができない、いとしいとし存在。


寂然たる笑みを淡く浮かべる小旋風が、燕青の眼に映る。思いがけず、彼の本心に触れた気がして、何処か気が咎めるような感覚を覚えながらも、燕青は―――どうか拒まれないようにと願いながら(それは淡い期待なのだけれど)―――重く感じる腕を伸ばすのだ、その、いつになく頼り無さ気に佇む背へと。







燕青×小旋風、捏造甚だしい過去話。