れたはなかった



パソコンに意識を向けすぎていたせいだろう、颯太は直ぐ傍にいた存在に、暫く気付くことができなかった。人の気配を感じて視線を移すと、案の定那智がいた。
結姫は、那智が来たことに気付いただろうか、と思いながら、颯太は那智の名を呼んだ。

「レポート。」

しかし、それだけを口にすると、那智は右手を差し出した。
毎度のことであるから、流石に、この傍若無人ぶりは重々承知しているが、こういう態度を見せられると、少し癇に障る。
今し方、結姫は、那智が変わったと言っていたが、自分に対しては相変わらずだと、改めて思う。唯一、はっきり変わったところを挙げれば、颯太が、那智を見るために視線を下げるようになったことだ。

「頼み方があるだろう、那智。」

窘めるように颯太は言ったが、殆ど効果がないのはいつものこと。結局、颯太が折れて、手を貸してしまうのだ。

「今更だろ?貸してくれないのかよ。」

少し落ち込んだような顔をされては、否とは言い辛い。それを理解してやっているのか、とにかく毎回この繰り返しだ。
溜息を吐いて、仕方ないというように返事をする。こうなることをわかっていて、大体課題は早めに終わらせてしまう自分がいるのも、紛れもなく確かなのだ。

「・・・ここにはない。教室で渡す。」
「サンキュー、颯太。」

嬉しさを前面に押し出す那智を見て、颯太は、また溜息を吐きたくなった。本当に、これから自力でやっていけるのか、と親でもないのに心配になってくる。受験生であることを自覚しているのだろうか。
2人で図書室を後にして、教室へと向かった。





「・・・・・・なぁ、那智。」

教室でレポートを受け取って、満足げな那智に声を掛け、颯太は、話を転換させた。なんだ、と返してくる那智に、颯太は、先程の結姫との話をしてみようと思い、言葉を作る。

「さっき図書室で、結姫と高天原のことを話してた。」

視線の先が、何処か遠くに、それこそ高天原へと行くような感覚がした。颯太は、相槌を打たずに聞いている那智に向かって、再び言葉を発した。

「あっちの颯太も、やっぱり俺だったんだなぁ・・・って話。」
「そんなこと考えてたのか。相変わらず考えるのが好きな奴だな、お前。」

呆れたように言う那智の言葉は、けして颯太を貶すものではない。人一倍頭を使うのが、颯太という人物なのだから、もう慣れてしまっているのが本音だ。
確かに、那智自身、あちらの那智と意識や記憶を共有していたと理解はしている。しかし、だからと言って、それが全てではないことも感じていた。

「・・・そんなの、あっちの自分がこっちの自分と同じって思うよりも、そん時、自分がどう感じてどう行動するかが大事だと思う。余計なことを考えるのは、苦手だ。」

那智は、高天原で過ごした時間の中で、隆臣のことを好いていて、颯太たちが仲間であり、共に使命を果たすこと、それだけで充分だった。
そもそも那智は、余計なことまで思案して、落ち込むような真似はしたくないと思っている。そんな傾向がある颯太を見ているだけで、呆れてしまうくらいなのだ。

「単純だな。」
「明快だろう。」

そうだな、と答える颯太に、那智は満面の笑みを浮かべる。
那智のこういった言葉の端々に、颯太は、その強さというものを感じた。滅多に垣間見せないそれは、颯太を惹きつけるのには充分だった。自分にはない思考回路は、時々あっとさせられる。

「もう、願ったって女にはなれないだろ?寂しいけど、それが当然で・・・俺も、それで構わないと思ってるつもりだ。でも、高天原で女になってみて感じたことは多い。あの時まで、俺自身は、歌にも踊りにも、そんなに熱心になるほど興味はなかったしな。」

同じように高天原での出来事を経験しても、そのことに対する考えは変わるものだとわかっていたが、那智のそれは、やはり自分のものとは異なり、颯太は再び思いに浸った。きっと、他の皆もそれぞれの思いを抱いているんだろう。

「お前はさ、いろいろ難しく考えすぎ。それじゃ、俺に伝わらない・・・感じたことを、ただ話せよ。」

飾らない、率直な意見は、すとんと頭の中に入ってくる。それは、まるで那智自身を表現しているかのようだ。

「向こうで那智に会ったとき・・・・・・彼女はやっぱり那智だ、と感じた。俺にとっては、やっぱりどちらも那智だったんだな、と今は思う。」
「で?」

那智の目が、もっとわかりやすく、と訴えている。そんな様子に、颯太は思わず笑みが零れるのがわかった。

「・・・・・俺は、那智の歌が好きだ。」

今でこそ、那智の声は以前よりも低くなってきてはいるが、どうやらこちらの那智も歌は結構できるらしい。

「・・・っ、なんだよ・・・なんでいきなりそこに飛ぶんだ?」
「感じたことを言えっていったのはお前だろう。」

動揺を隠さない那智に、颯太は笑みが零れた。自分が動揺させられている時、那智は案外強気でいると思っていたが、どうやらこれは逆の立場でも言えるようだ。
那智は、悔しそうな顔をして颯太を睨むが、今は効果がないようだ。

「いつの話だよ、そんなこと。」

もう、5年近くも前の話だ、と呟いた那智に、颯太は言葉を返す。

「今もだ。変わらないさ・・・・・・懐かしいんだ、ただ。」

タオナの村で、那智が、墨頭虫(カーボン・ヘッド)の子供に歌った子守唄が、颯太の記憶の中から浮かび上がってくる。

「・・・もう、聞かせられないぞ。」

あれから、成長してしまった自分が、那智は少し恨めしく感じた。こんな風に、自分の、高天原の那智の唄を好いてくれる存在がいるのに、もう、あの唄は、那智の唄う唄と言う形で甦ることはない。

「いいよ、忘れないように努力する。」

そう言った颯太は、那智の頭を軽く掌で覆った。この身長差になってから、こういった行為が容易くなった。普段なら、暴れて嫌がられるが、今回は珍しく大人しい那智を見て、颯太は、そのまま那智の頭を撫ぜた。
教室に、誰もいなくなった後でよかった、と、その時颯太は思った。

「・・・あっちの俺、ちゃんと踊り子(ドール)やってるかな。」
「なってるだろ、都で一番に。」

颯太の言葉は、けして慰めではなかった。那智の歌も踊りも、そうなって然るべき、才能だった。
今となっては、夢の記憶を抱くことはできないが、そうなっていればいい、と、那智は思った。
夕暮れの教室に、小さく、ありがとうという那智の言葉が響くのが、颯太にはわかった。





END.

今回は、中ツ国での颯太&那智(&結姫)です。
ぶっちゃけてしまうと、タカマガハラ番外編『コイウタ。』の数ヶ月前くらいの話です。3年生になって間もないころ・・・でも、衣替えよりは前。その、番外編を見るからに、颯太と那智は同じクラスっぽいので、勝手に解釈してしまいました。他のメンバーはよくわかりません・・・ので、とりあえず、ここでは結姫と颯太たちは別クラスってことにしておきました。(捏造ばかりですいません。)
しかも、何故か颯太優勢。(有利な那智も好きです。)
那智は、ちょっと動かしづらいです・・・視点も、颯太中心の方が書きやすい・・・腕の問題ですが。(涙)
この2人、いつかくっつけちゃいたいですね・・・(いつだろう)。
そして、最後に願い。>>颯太は、那智の唄の一番のファンであって欲しい。