世界、それは秩序と現と幻で構成される



水晶虫(クリスタル・バック・ワーム)の齎した喧騒の後、1人の少女は連れ去られた。あっという間に過ぎていった喧騒、そして蘇った静寂に紛れるようにして、1人の少年も、その後を追うようにして姿を消した。
騒然とした夜は、太陽の訪れと共に一時姿を晦ました。太陽が空高くから地上を照らす頃に、残った5人はリューシャーの都を出発することに決め、圭麻の造った飛空船(エア・シップ)に乗り込み、去ってしまった隆臣を追う。
風の精霊が起こした風が道標となり、広い大地の中から捜し人を見つけた。
颯太は、涙を目に浮かべながら隆臣の元へと走っていく那智や、頬を涙で濡らして怒る結姫を見つめた。4人の中では、一番結姫と隆臣と共に過ごした時間は多い颯太だが、そんな結姫を見て、らしいなと思う。
那智に続くように、隆臣の腕にしがみ付いた結姫を見て、颯太は一瞬複雑な気持ちに駆られた。しかし、それが何なのか、賢く、見えぬものを見ることのできる透視人(シーヤー)と言えど、理解が出来なかった。結局、口から出てきたのは彼に対する憎まれ口だ。自分でも大人気ないとは思いながら。しかし、既に馴染んでしまった隆臣の憎まれ口すらも、こうして聞くことが出来てほっとする自分がいることも確かだった。
戦いが過ぎ去った後、全員の無事を確認したときのように、全てを忘れ、一時の安堵感に、この時だけは浸っていたいと思った。




全員が飛空船に乗り込もうとすると、颯太は結姫に近付き話しかけた。彼女の目元が少し赤いことに颯太は気付いたが、敢えて見ない振りをする。もしや那智もそうなのだろうか、と考えたが、頭を振って追い払った。どうしたのと、不思議がる結姫の声に我を取り戻す。

「・・・悪いけど、神獣鏡を少しの間貸してくれないか?寝る前には必ず返すから。」

颯太が少しだけ控えめに尋ねると、結姫はあっさりとポケットから取り出した神獣鏡を颯太の手へと乗せた。
何に使うのかとは尋ねてこない。自分なら何事も知りたがる性なのか、はたまた好奇心なのか、恐らく尋ねずにはいられないだろう。彼女は器の大きな人間だと、こういう時、颯太は改めて実感する。そして、自分が信頼されているのだと信じることが出来る。彼女の信頼の示し方は見ていて気持ちがいい。
これは、中ツ国と高天原を行き来するようになって初めて得ることの出来た掛け替えのないものだった。無条件での信頼は自分の持っている知識以上に大切だと学ぶことが出来た。

「ありがとう。」

笑顔を向けると同じように返ってくる。ただそれだけのことだが、これも以前の中ツ国での自分たちであったら想像もできないことだ。


2人を最後に、全員が飛空船に乗り込むと、飛空船は、再び圭麻の力によって浮かび上がり、前進する。まずは、明るいうちに進めるところまで進むのが先決だ。攫われた伽耶を救い、神華鏡を手に入れるために。

飛空船が宙を地面と平行に進み始めて、暫くし、この飛行船のたてる音が騒音でないことに、颯太は漸く気付いた。先程隆臣を追っていた時は、そこまで気を回す余裕がなかったのだろう。冷静さが欠けていたことに、颯太は少し後悔する。しかし、現在の中ツ国でも問題になっている、車の騒音や排気ガスの恐れは全くない。そんな理想がここに、目の前にはある。
高天原の人々は、環境問題に対する概念が中ツ国の人間に比べて多くない。それは好ましいことでもあると、颯太は思う。つまりは、問題になるようなことが少ないと言うことだ。昨今の状況では、それも大きく変化しつつあるようだが。
そしてそれ故に、月読の齎した空遊機(エア・オート)による大気汚染などに対する認識の鈍さは否めないのも確かだ。取り返しがつかなくなって、漸く理解する。便利さや利益が先立って、自然環境が二の次になってしまう。これは、今の中ツ国も過去に辿ってきた道だ。

それにしても、颯太にとって注目すべき点はもう1つあった。飛空船を操縦する圭麻の手に握られた勾玉。彼は勾玉の力を使いこなしている、結姫のように。
颯太は、自分の手の中にある己の勾玉を見つめる。『布(サリヤス)』と刻まれたそれを。彼のように、自分にも何か出来ないか、大事な人たちを守るだけの力があるだろうか、と思う。それは、自分に課せられた義務であると同時に、やりたいことでもあった。





太陽が地平線に沈み始めた頃、圭麻は飛空船を停止させ、地上へと下ろした。
都合の良いことに、この飛空船は、圭麻の自称宝物を収めるだけのスペースがある。お陰で眠る場所には困らず、野宿を避けられるため、体力の少ない颯太にとって助かることばかりだった。
眠ってしまえば、颯太たちの意識は中ツ国のもう1人の自分へと戻る。その前に、颯太は結姫から預かった神獣鏡を手にし、一度飛空船の外へと出た。


太陽は殆ど沈みかけ、再び闇が舞い戻ってくる。その時刻がいつもよりも早い気がする、気のせいでなければ。そういえば、最近で中ツ国でも曇天ばかりだったのを思い出す。
颯太は、近くに立っていた木の下へと移動して、手頃な大きさの岩へと腰掛けた。流石に夜ともなると気温が日中に比べて下がるため、少し肌寒い。懐から神獣鏡を取り出すと、それを媒介にしてしか会話することの出来ない思兼神の名を呟いた。
そして、鏡からぼやぁと人の輪郭が現れたかと思うと、それは段々とはっきりとしたものになっていき、白い衣裳に身を包んだ若い女性が現れた。

「夜分遅くに申し訳ありません、鳴女さん。少しだけ、話をしてもいいですか?」

颯太の要求に、鳴女は至極穏やかに、勿論ですと応えた。透明で軽やかな、しかし威厳を感じられる音色が彼女の口から紡がれる。

「・・・・・・俺は、いや、俺たちは、この使命を果たしたら、きっと、今迄通りの・・・・・・高天原を知らなかった頃のような、日常に戻るのでしょうね。」

迂回することなく発せられた、尋ねるような、しかし確信に近いものを含んでいる颯太の言葉に、鳴女は直ぐには返事をしなかった。颯太にはそれこそが答えのように感じられたが、その思うほどでもない短い時間をただ待つだけにした。

「貴方は、他の5人の中の誰よりも聡い・・・・・・そして、貴方の思っていることは確かです。全てが終わった暁には、封印の解かれた勾玉に、再び長い眠りが訪れるでしょう・・・貴方を含め他の皆さんが、再びこちらの貴方方と意識を共有することはありません。」

そう言葉を繋いでいく彼女は至って冷静ではあったが、その表情には翳りのようなものがあるように、颯太には見えた。単なる思い過ごしかもしれないが。

「けれども、中ツ国の皆さんのこれまでの高天原の記憶が消えてしまうことはありません。皆さんが、忘れない限り・・・この全てが、生き続けます。」
「そうですか・・・。」

それだけしか返すことが出来なかったのは、衝撃が大きかったわけではなく、鳴女の次の言葉を促すためでもあった。無責任に何かを言ってしまえるほど、颯太はまだ事実を知らないからだ。

「しかし、中ツ国で高天原の存在を知る者は、貴方たちを除いて、いないと言っても過言ではありません。そして、高天原でも中ツ国は伝説としてしか認識されていません。」

それは颯太にも納得がいった。恐らく、中ツ国で高天原の話を誰かに語ったとしても、信じる者は殆どいないだろう。自分さえも、今の立場にいなかったら信じていたかどうか怪しいくらいなのだから。
それほど、人は現実を、目に見えるものばかりを信じてしまう傾向がある。
颯太が軽く相槌を打つと、鳴女は言葉を繋げた。

「けれども、それが当たり前で、秩序なのです・・・・・・。」
「いえ、違います・・・・・・そういうことじゃなくてですね、少し寂しいな、と思っただけなんです。勿論、高天原で出会って人との思い出は大切ですが、なくなるわけじゃない。そして、中ツ国には、ここと同じように皆がいます。」

語気が弱まる鳴女に、颯太はすかさず言葉を返した。同時に座っていた岩から腰を上げた。このまま、彼女が全てを背負ってしまいそうな危惧が感じられた。颯太には、思兼神という役職が、この女性にはあまりにも重過ぎるように思える。

「高天原のことを知って、結姫たちに出会って、学びえたものは大きい・・・・・・中ツ国では手に入れることの出来なかったものが、今の俺にはあるんです。こちらに来たことに感謝はしても、後悔するはずがありません。」

そして、颯太はその手にした大切なものたちを思い浮かべる。どうか、それが彼女に伝わってくれるといいと思う。

「きっと今後、大人になっても・・・信じ続けるでしょう、この高天原で起こったことを。」

今、自分がここに存在することはけして夢ではない。例え、眠っている間だけの出来事なのだとしても。例え、万人に否定されたとしても。颯太にとって、そして他の皆にとっても、これはもう1つの現実だ。
もう1人の自分との別離は寂しい、けれども、確かに高天原で存在しているのだ、していたのだと信じられるのは、今この時を共有する仲間がこうしているからだ。それはとても心強い。

「・・・透視人・・・・・・貴方は聡いだけでなく優しい・・・どうか、貴方の持つ力だけでなく、その心を以って、人々を、結姫を支えてください。」

微笑んだ顔に、颯太は安堵を覚える。彼女の言葉に力強く頷き、同時に、一体自分にできることはなんだろうと模索する自分がいる。颯太は、自分にある力に対してはまだ手探り状態だ。また調べることが増えたようだ。
本当はもっと聞きたいことがあった。神王宮で見た終末伝説の文句の続きについて、などだ。だが、時間的にも都合が悪く、自分1人だけが聞いてもいい話ではないので敢えて口にすることはなかった。
そして、話を聞いてくれたことに対して礼を述べると、彼女は姿を現した時と同様に、すっかり濃くなった闇に静かに消えていった。
冷たい風が身体に染みる。後に残ったのは、颯太と神獣鏡、そして訪れたばかりの闇だけだった。





暫くの間、颯太は、飛空船に戻らずにその付近を彷徨っていた。飛空船から降りる前にも確認したが、どうやらこの近くには湖があるようだ。
顔を上げれば、視界には空が広がる、暗い空だ。太陽に代わって、多くの星と共に月が煌々と地上を照らしている。しかし、普段なら綺麗だと感じるはずのその存在も、今は好きにはなれなかった。それは天照大神が太陽と称されるのと同様に、あの月読は月と称されているからであろう。
ふと、誰かが歩み寄ってくる気配を感じた。青く茂る草を踏む足音が徐々に大きくなる。

「・・・・・・颯太?」

身構えていた姿勢を戻す。不意に名前を呼ばれ、それが敵のものではないことを察し、颯太はほっと胸を撫で下ろした。それは知った者の声であった。

「那智か・・・どうかしたのか?もうすっかり暗くなったぞ。」

白く大きめの布を防寒具の代わりに纏っている。確かに、彼女の殆ど袖のない服ではそれも無理はないと、颯太は思う。

「それはこっちの科白だ。お前だけいないから・・・どっかで迷子になってるんだと思って、見に来てやったんだぞ。」

大きなお世話だと颯太は言ってやりたかったが、今はそんな気分ではなかった。それに、那智に悪態をつけばついただけ、倍になって返ってくることはわかりきっている。無論、自分も同様にして言い返すが、それではあまりにも悪循環だ。
外見はとても女性らしく美人であるにもかかわらず、その口から発せられる言葉は、紛れもなく男のものだ。先程言葉を交わしていた女性と比べると、かなり男勝りだと言ってもいいが、中身は紛れもなく男なのだから仕方がない。
だがその不釣合いが、颯太には、やけにしっくりくるものがあった。

「迷子って・・・・・・少し用事があっただけだ。」

しかし、自分が今日のことを誰かに話すことはないだろうと、颯太自身感じていた。

「何だよ。」

尋ねてくる那智に、颯太はただ曖昧な笑みを浮かべて応える。それが、彼女には甚くお気に召さなかったらしく、拳で背中を殴られた。思ったよりも痛くはなかったが、不意を打たれて顔を歪める。
すると、那智の手が颯太の背中に触れたまま止まっているのに気がつき。颯太は不思議に思って、視線を横にいる那智へと移した。そして、どうしたのかと尋ねる。

「・・・・・・冷えてるな。これ、使うか?」

ふと、何かに気付いたように黙っていた那智が口を開くと、そう言って真っ白な肩衣を指で示した。
向こうの那智は、こんなにも颯太に気を回すような男だっただろうかと、颯太は考えるが、そういえば、今は女だったと気付く。なんて、我が侭でややこしい奴だと思うが、今自分の心配をしてくれているのは、紛れもなくその奴だ。
女としての自覚はあるのだろうかと颯太は疑問を抱かずにはいられなかった。いや、あるのかもしれないが、そうだとするなら自分が男だと認識されていないのかもしれない。

「いや、いいよ・・・・・・どうせ、もう戻るから。それに、お前の方が見ていて寒い。」
「んだよ・・・遠慮しなくても、これデカイから2人くらい平気だぞ?」

遠慮ではなく、一応は女性である彼女を思って辞退した颯太なのだが、その本人がいまいちそれを自覚していない。中ツ国では男なのだから、それもわからなくはないが、やはり見ていて何処か危なっかしさを感じる。実際、危ないのはその周囲ばかりだが。
中ツ国とは異なった、自分より背の低く小柄な那智を見るのは、颯太にとって非常に新鮮なことだった。

「阿呆っ、そういう問題じゃないだろう!・・・・・・ったく、これだから嫌なんだ。」
「ふふっ、颯太、お前顔が赤いぞ?」

勝ち誇ったような笑みを浮かべる那智を見て、ああ、それでもやっぱりこれは那智だと認識する。颯太は、悔しいような呆れるような感情に襲われた。はたまた、それは照れからくるものだったのかもしれない。
高天原の那智が、高天原の自分の存在も中ツ国の自分の存在も認めてくれていたらいい。そうであるなら、こちらの颯太と意識が共有できなくなったとしても、永劫、自分という存在が高天原のこの地にに刻まれるような気がする。
それにしても、何処か落ち込んでいた部分が、こんなことで少し解消されたような気がするのだから、自分は案外単純だと、颯太は思った。
傍に皆がいる。先のことを思案し、別れを寂しがるよりも、まず、この絆を信じて突き進んで行きたい。

「黙れ。」

さっさと戻るぞと、那智の肩衣を掴み、引っ張りながら飛空船の方へ向かう。

「はいはい。」

そう返事をしてきた那智の顔には、まだ笑みが張り付いていて、颯太は力を強める。
暫くの間、風に晒された身体が、温かさを求めていた。





END.

初のタカマガハラ小説。
小学生のときから大好きだった、数少ない少女漫画の1つなのですが(大体好きな漫画は少年モノ)、最近また注目するようになって、通販までして同人誌(タカマガハラ番外編など)を購入しました。とっても、良かったので、もし次の同人誌が出るなら、是非購入したいと目論んでいますvvv
個人的には、やはり颯太×那智が一番好きですが、タカマガハラではどのCPも大好きです。一番好きなキャラは、勿論颯太。かなりタイプです(←眼鏡キャラに弱いのです。)
この『タカマガハラ』は、ストーリーが面白いだけではなく、日本の神話や環境問題、といった観点でもとても勉強になるお話しなので、是非、手にとって見て欲しいな、と思っています。