天蓋



小さな、しかし工匠の技倆(ぎりょう)が垣間見える杯(さかずき)に酒を注がれ、珀明は溜息を吐いた。杯が素晴らしいのも、酒が上物であることも、目の前の人物の非凡な着眼力からして認めよう(ただ、その人物自体は変な方向に非凡である)。

「・・・晩酌ならまだ納得できるんだが」

生憎、今は昼間だった。数刻前にも午餐済ませた。
珀明にとっては折角の休日であったが、普段が半端なく忙しいせいか、いざ暇となると持て余してしまう。常日頃、休日が欲しいと訴えているのに(その9割9分9厘が、吏部尚書に届く前に侍郎によって叩き落されてしまうが)。随分と笑える話だ。

「なに、こうして明るい昊(そら)や季節の花を愛でながら飲む酒もいいものだ」
「・・・まぁな」

いきなり珀明の邸に現れた風流をこよなく愛する男、もとい、龍蓮は、問答無用で珀明を引っ張り出し、彼曰く、最近見つけた貴陽の風流処へと向かったのだ。幸い、そこまで向かう路は、人間が歩いて通ることのできる路だった。いつになく体力は使ったけれども。
しかし、辿り着いた場所に咲き誇っていた藤を見て、その疲れはいつの間にか消えた。枝もたわわに、とはこういうことを言うのだろうか。珀明は、その光景にしばし見惚れた。
そして、龍蓮は藤がよく見える場所へと腰を下ろし、何処から取り出したのか、陶器でできた酒瓶と小さな酒器を取り出した。隣に座った珀明へと杯の片方を預け、自然な動作で瓶を傾けるのを、珀明は受けた。

「・・・なんで酒なんだ?」

珀明は、少しずつ味わうようにして酒を口に含む。そして、龍蓮は味覚なら人並み(もしくはそれ以上)なのだと、いつも感じる。

「珀明と飲んだことがなかった故。それを言うなら、心の友其の一や其の二ともないのだが・・・。」

官吏になれば、多少なりとも必要であるため、珀明も飲めなくはない。だが、強いかと聞かれれば、否と答えるだろう。理性や意識がなくなるほど飲んだことはないが。

「そう言えば、秀麗は工部の管尚書に飲み比べで勝ったんだったな・・・化け物だあの女は」

常に彼の執務室には大小の酒瓶酒樽が無造作に転がっていると言われるほどの無類の酒好きを負かしたのだ、相当の酒豪なはずだ。自分の記憶が正しければ、彼にまともに勝ったことのある人物は、工部侍郎で自分の親戚でもある欧陽玉だけだ。彼も相当な酒豪である。そう思い出し、絶対にあいつとは酌み交わさない(することになったとしても、長居などしない)と、珀明は誓った。

「・・・あまり強くないぞ、僕は」
「それはいいことを聞いた」

どういうことだと、珀明は隣に坐る男に尋ねた。聞き捨てならない。だが、龍蓮からの返事は返ってこなかった、無視を決め込むらしい。

「・・・・・・まあ、その瓶の大きさなら酔っ払うこともないけどな。だが、今後、僕を理性がなくなるまで酔わせようなんて考えるなよ、龍蓮。」

何をされるかわからない、珀明は諭すように言い放った。想像して鳥肌が立った。一方の龍蓮は、少し不機嫌な表情を見せる。悪戯を言い当てられた子供のそれと同じだ。珀明は笑った。

「ほら、折角のいい天気と綺麗な藤なんだ、笑え。折角の酒が不味くなるぞ」

珀明は昊を見上げた。こんな日に、暇を持て余していたなんて勿体無い。邸から連れ出してくれたことを、有り難いと思う。今日見なければ、当分、もしかしたら今年は、藤をゆっくりと眺めることができなかったかもしれない。

「・・・ほら、僕が酌をしてやる」

地に置かれていた酒瓶を手に取ると、空になっていた龍蓮の杯へと注ぐ。龍蓮は躊躇いもなく口に含む。

「今度は、4人で酌み交わすのもいいな」

珀明は、そう口にした。遠い茶州にいる影月と会うことができる日は、そうそうないだろうが、生きている限り、その機会にも恵まれるだろう。それに、秀麗も影月がいれば、そうそう羽目はを外すことはないだろう。もしかしたら勿体無い精神が旺盛な彼女は、味がわからなくなるほど呑み過ぎることもないかもしれないと、珀明は内心呟いた。

「では、心の友其の二の伴侶も誘おう」
「伴侶?誰だ、それは」

聞いたことのない話に、珀明は言葉を返す。

「香鈴、という。饅頭の腕は、心の友其の一秀麗に負けず劣らず」
「・・・生意気な、1番年下のくせに」

自分は年中仕事に追われる日々で、今日のような休みなど悲しいかな稀なのだ。無論、女性と出会う機会すらない。吏部の先輩曰く、例え恋人がいたとしても彼女のために割く時間がないため、彼女の愛が消えていくらしい。

「珀明には私がいる、私にも珀明がいる、秀麗も影月もいる。秀麗には我らがいる、それに、彼女を慕うものは多い。影月に伴侶がいても我らの関係が変わるわけでもなし」

龍蓮は、珀明の方へと顔を向け、基本無表情の顔を綻ばせる。頭に飾られているものさえ見なければ、文句なしの美青年だ。あと、首から下も見ない方がいい。

「・・・・・・恥ずかしいやつだな」

酒が入っているとはいえ(素面でも変わらないが)、淡々とそう自分で言ってのける龍蓮に、珀明は酒の力もあってか、頬が紅潮するのを感じた。

「あおいな・・・昊は」

紅く染まった頬が、この雲1つない昊のようにすっきりと冷めてしまえばいいのにと思いながら、珀明は杯に残った酒を飲み干す。瓶に入った酒も、もう残り少ない。
珀明の言葉につられるように、龍蓮はあおい昊を仰いだ。視界の片隅には藤が咲き乱れていた。







小話、2人が藤の花を愛でつつ酒を酌み交わすの図。(時期は・・・・・・聞かないで下さい。私もよくわかりません・・・。)
藍も碧も「あお」と読むんですよね(嬉)
個人的に、珀明は酒に弱く(泣き上戸だといい/妄想)、龍蓮は(お約束みたいなもんですが)強いと思います。秀麗は言わずもがな、影月は普通に飲めると思います(影月編後から)。香鈴は・・・いろいろと酒乱じゃないかな。(怒り上戸とか泣き上戸とか、とりあえず影月が対応に困るといい。)
でも、よく考えると、1番年下の影月に恋人(もう伴侶?)がいるのに、他の3人にはいませんね・・・・・・まあ、3人揃いも揃って彩七家直系なのでいろいろとあるんですよね、世間的に見れば。